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被災地・宮城を技能実習生で救う。インドネシアと地域をつなぐ男の挑戦

ビジネス

津波で会社が消滅してからの再スタート

気仙沼

震災当時の気仙沼の様子。菅原さんの会社も大きな被害を受けた

 ちょうどそんな悶悶とした気持ちを持っていた菅原さんと、私は2013年に出会った。きっかけは彼の会社が震災からの立て直しをするお手伝いとして。津波で会社が跡形もなくなり、重機もすべて流され、2tダンプ1台と借金しか残らないという厳しいスタートだった。

 ただそんななか、菅原さんはあることに気づく。

「気仙沼の人口は日本の他のローカルと同じく減少していくけど、この街は決して地元の人だけで成り立っていないことに気づいたんです。具体的には水産業の人材です。この街には水産業関連でインドネシア人がたくさん来ていた。彼らに対して、地域としてウインウインの関係が築けないかと思ったんです」

技能実習生には手厚いサポートも

気仙沼

 そこで菅原さんは突然インドネシアへのグローバル展開を掲げる。当時正直、経営相談に乗っていた私も唐突すぎて疑問だった。突然、行ったこともないインドネシアへ渡航し、人脈も接点もないところから自分の事業構想を進めていくというのだ。

 菅原さんの構想はこうだ。これからインドネシア人の技能実習生を受け入れ、工事を担える人材として積極活用していく。もちろん帰国後の重要な戦力となる人材なので、日本人社員と変わらない対応でもてなしている。また慣れない日本で過ごしてもらう間、技能実習生が病気で通院する場合は職場の従業員が付き添うなどサポートも手厚い。

 気仙沼の人口減少による人材難の課題と、道路工事技術がまだ進んでいないインドネシアの道路工事技術向上への課題を同時に解消させる。そして、今度はそのインドネシア人の活躍の場として、自社がインドネシアへ展開して、現地の道路工事事業に関わっていく。

 インドネシアの道路技術向上と自社のグローバル展開を同時に実現させる構想は、突然思いついたそうだが、なんと4年で実現してしまう。また現在ではインドネシア企業への技術のローカライゼーションの展開に加えて、リサイクルアスファルトのノウハウをインドネシア企業に横展開したり、また帰国後に「日系企業に勤めたい」という技能実習生の採用面談のサポートを行うなど幅広い。インドネシアでの道路工事の直接的な受託をするではなく、リサイクルアスファルトの製造を担うことで現地の方たちのインフラ向上を支援している

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