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HIP HOP界を牽引する「脱サララッパー」。デビューのきっかけは大ケガ

暮らし

くたびれた同級生がスイッチを入れてくれた

――その後、サラリーマンとラッパーを兼業するようになったのは、いつ頃からだったんでしょうか?

黒ぶち:大学を卒業してから1年後、サービス業で正社員になりました。大きなきっかけにあったのは、フリーター時代に居酒屋でたまたま一緒に飲んでいた同級生でしたね。彼が会社の愚痴をこぼしていたんですが、同じ立場になったことがないからその気持を受け止めきれなかったんですよ。それからふと「自分も社会に身を置かなければ、誰かに響く曲はきっと書けないはずだ」と思い、就職活動を始めました。

 ただ、それで無事に内定はもらったんですけど、正社員になるまでの最後の1か月間で“3.11”の東日本大震災が発生したんです。東北に住んでいたラッパー仲間からも「沿岸から25kmも離れていたのに床上浸水した」と報告があり、自分自身も激しい揺れを味わって。就職はもちろん決まっていたんですけど、それと共に“死生観”を伝えるためにも、心の隅で「真剣にラップと向き合いプロを目指そう」という思いが込み上げた時期でもありました。

――2011年4月から始まったサラリーマンとラッパーの二重生活。会社員時代は、音楽とどのように向き合っていたのですか?

黒ぶち:仕事を続けながらも、MCバトルイベントに出場していましたね。当時は自分でいうのもなんですけど、けっこう勝ちまくっていて。じつは、今の部屋にある収録機材もその頃に出場した「MC BATTLE THE 罵倒」で優勝して、初めて得た賞金の20万円を使って買い揃えたものなんですよ。

 ただ一方、自分の中ではふつふつと「バトルばかりしていたら先もないし、説得力もないんじゃないか」という思いが込み上げてきて、2013年頃からは楽曲制作にも本腰を入れるようになっていきました。今思えば、自分のスイッチを入れてくれた同級生に「社会人をやりながらアルバムも出せるし、ラップも続けられる」と提示したい思いもあった気もします。

『フリースタイルダンジョン』出演が分岐点に

TK da 黒ぶちさん

友人の支えにより作られた防音室でみずからの声を吹き込む

――少しずつ土台を積み重ねていく中で、アーティストとしての転機はいつ頃だったと思いますか?

黒ぶち:長い目でみると、色々なバトルにも参加してきたけどやっぱり『フリースタイルダンジョン』への出演は大きな分岐点でした。初めて参加したのは2016年1月の放送回。収録は2015年の12月半ばだったんですけど、ちょうど年末に1stアルバム『LIFE IS ONE TIME, TODAY IS A GOOD DAY』を発売した時期と前後していたんですよね。

 リリース直後は放送前だったこともあって、発注枚数が予想よりも少なかったんですけど、番組放送後にその数が10倍以上になったんですよね。そこから縁がなかったはずのイベントに呼ばれるようになったり、わずかながらにプロとしての実感を持てるようになっていきました。

 とはいえ、本業がサービス業なので土日がなかなか休みにならず、ときには架空の親戚の葬儀を装って有給を取ったりと、予定の調整に四苦八苦していました(笑)。

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