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HIP HOP界を牽引する「脱サララッパー」。デビューのきっかけは大ケガ

暮らし

徐々にラッパー仲間の輪が広がっていく

TK da 黒ぶちさん

番組やイベント出演のかたわら、自宅の専用機材で音源制作へ打ち込む

――ラッパーとしての原点をたどった一方で、ご自身の武器にもなっている“フリースタイル”へ傾倒していったのはいつからだったのでしょうか?

黒ぶち:高校2年生の春頃でしたね。今でもヒップホップの聖地として知られる渋谷のシスコ坂へよく通っていたんですが、そこでたまたまダースレイダーさんたちのいたレーベル「Da.Me.Records」の方々のサイファー(複数人が輪になって即興でラップをすること)に出会ったんです。

 その頃はまだフリースタイル自体が広く知られていなかったけど、僕は先輩に教えてもらっていて、かじりたてのまま試してみたら楽しかったんですよ。そうこうしているうちに「来週からハチ公前に場所を移して、毎週土曜にやるから」と言われたので定期的に参加するようになりました。

 ラッパー仲間の輪が広がっていく中で、互いの地元でイベントにも出演するようになったし、ちょうど当時に初参加したMCバトルイベント「B BOY PARK」でベスト8に残ったのも、自分なりにフリースタイル熱が高まったきっかけでした。

ヒップホップを知ろうと単身ニューヨークへ

――今のスタイルへ通ずる原点でもあったんですね。その後は、どのようにラップが生活に溶け込んでいったのでしょうか?

黒ぶち:大学に入ってからは、地元でも少しずつ仲間が増えていきました。もともとは「ラップってお経でしょ?」くらいの感覚しかなかったヤツも興味を持ち始めたりして。

 次第に周りに、DJやダンサー、グラフィティ・ライターたちが集まってきて、十数名のグループになっていって。今思えば若気の至りだったと思いますけど、商業施設のコンセントを借りてみんなでラジカセをかけて騒いだりもしてました(笑)。

 また、大学を卒業してすぐに、ヒップホップの原点を知るためにニューヨークでの一人暮らしも経験しましたね。1か月だけではあったんですけど、もともと就職難を言い訳に就活を考えていなかったんですよ。在学中から何となく「ニューヨークに住みたい」とは考えていて、貯めた金でブルックリンに行きました。

 短い期間ではあったけど、帰国後もその経験から「ヒップホップ最高!」みたいなノリが残っていて、半年ほどはフリーターとして音楽活動を続けていました。

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