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ジャニー喜多川氏、名曲を生んだプロデュース秘話 突然の電話が運命を変える

コラム

 7月9日に逝去したジャニーズ事務所の創業者であるジャニー喜多川氏(享年87)のお別れ会が、9月4日に東京ドームで行なわれた。

東京ドーム

※画像はイメージです(以下同じ)

 ジャニー氏のエピソードも豊富に綴られた『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)の著書があり、ライター・芸能研究家の岡野誠氏が、1988年の『抱きしめてTONIGHT』にまつわるジャニー氏のプロデュース秘話を綴る。

低迷期に突入した1986年の田原俊彦

 1980年のデビュー以降、田原俊彦は“歌って踊る”というジャニー氏の理想を体現しながら、『哀愁でいと』『君に薔薇薔薇…という感じ』『チャールストンにはまだ早い』などヒット曲を連発していた。

 しかし、7年目の1986年からシングル売上が10万枚を割り、低迷期に突入する。当時はミディアムテンポの曲調が多く、ダンスを魅せる機会が減っていた。

 1988年、ジャニー喜多川氏は田原俊彦の魅力を存分に引き出すため、もう一度踊らせようと決意する。バックダンサーには、当時19歳の木野正人を指名。86年にジャニーズ事務所に入所した木野は卓越したセンスを見せており、少年隊の『stripe blue』でもバックに起用された逸材だった。

 もう一人を誰にするか。ジャニー氏は、田原のデビューから約2年間バックを務めていた「ジャPAニーズ」の乃生佳之を脳裏に浮かべた。

ジャニー喜多川さんの電話が変えた“運命”

ジャニーズ

スポーツ各紙が一面で報じたジャニー喜多川の死去(7月10日付)

 乃生はグループ解散後、劇団四季でバレエなど踊りの基礎を身に付けていたが、当時は実家のうどん屋の若旦那としても働いていた。ジャニー氏は何の前触れもなく、電話を掛けた(以下、2018年6月発行『田原俊彦論』の一部を引用)。

〈喜多川「もしもし、ジャニーだけど」
 乃生 「…はい?」
 喜多川「YOU、今度のトシの新曲で踊ってくれない?」
 乃生 「…え?」
 喜多川「トシはやっぱり動いた方が良いんだよ。トシが動けることを最近の人は知らなくなって来ているから」
 乃生 「…は、はい」
 喜多川「19歳の踊り上手い子が一人いるから、YOUも踊れるだろうし、どう?」 
 乃生 「…ええ」〉

 ジャニー氏の突然の依頼に、乃生は29歳という自分の年齢を考慮して一度は断った。しかし、同じジャPAニーズのメンバーで、新曲の振付を担当するボビー吉野から「トシがのおちんを指名しているから」の一言で翻意。こうして29歳の乃生佳之、19歳の木野正人による「BD104」(バックダンサートシ)が結成された。

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