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伝説の風俗ライター・松沢呉一が語る「ウェブマガジンの宿命」

学び

 雑誌全盛期を駆け抜けたベテランライターが語る、フリーランスの生き方とは何なのか。前編では、風俗ライターをの松沢呉一氏に現在に至るまでの経歴を聞いたが、後編では現在の生活についてじっくり聞いてみた。

フリーランス

 そもそも松沢呉一という名前を聞いてピンと来る人は、ある一定の年齢層の人間か、相当のサブカル好きだろう。正直、私(筆者)も編集長から教えてもらうまで、まったく知らなかった。

 1958年生まれの松沢氏は、風俗ライターとして主に1990年代に活躍。ヘヴィメタル専門の音楽雑誌『BURRN!』で1993~2001年まで連載していたコラム「アナルは負けず嫌い」をまとめた著書『ぐろぐろ』(ちくま文庫)が2014年に復刊し、話題となった。

 さらっと書いてしまったが、「アナルは負けず嫌い」というのもすごいタイトルである。SM、男性器、女性器、食便、飲尿、ゴキブリ、性病、怪談などあらゆるエログロを詰め込んだ伝説的奇書である。

40代半ばで転機「風俗ライター」を廃業

 大学卒業後、新卒で入社したパルコを辞めたのち、順調にライター生活を続けていた松沢氏だったが、40代半ばで、大きな転換点を迎えることになる。2004年に東京都の石原慎太郎知事(当時)が「歌舞伎町浄化作戦」を開始。それまでのエロ本や風俗情報誌では、風営法の許可を得ていない法的にグレーな店舗の広告も掲載することがあったが、浄化作戦を機に、グレー店舗の広告掲載を中止したのだ。

「エロ本業界は広告収入がガタ落ちしたうえ、ネットの台頭による出版不況の波が押し寄せていた。原稿料が下がったり、雑誌自体がなくなったりということが相次いで、収入も激減。風俗ライターという肩書きでは食べていけなくなったし、浄化作戦に抵抗しきれなかった悔いもあって、これを機に、風俗ライターと名乗ることもやめました」

 当時46歳。松沢氏は現在に至るまで婚姻歴はなく、ずっと独身生活を続けている。妻や子供を養う必要がないため、収入に変動があってもさほど困窮することはなかった。

「激減した水準のまま今に至りますが、ネットのおかげで、この年齢でも書き続けることができる。紙オンリーの時代だったら、収入は限りなくゼロになっていたでしょう。そう考えると、いい時代だと思います」

月額500円「ウェブマガジン」の収益モデル

松沢呉一

「松沢呉一のビバノンライフ」 ※画像は公式サイトより

 松沢氏は2014年からウェブマガジン「松沢呉一のビバノンライフ」を開始。月額500円で銭湯や性文化、事件史、ナチスドイツなどなど松沢氏の興味に基づいたさまざまな記事が読むことができ、コアな情報を発信している。

「それまではメルマガをやっていて、どっちも収入は同じくらい。月に10万円ぐらいを目指していたんですが、なかなか届かないですね」

 最初の1年間は右肩上がりで購読者が増えていったが、その後は横ばいが続いている。

「ウェブマガやメルマガって、『その人が好きかどうか』『信用するかどうか』で登録する人がほとんどです。オンラインサロンなどと同様で、一種のファンクラブであり、ファンビジネスなんですよね。芸能人のファンとは違うけど、『書いている人』が決定的な登録動機になります。

 開始から1年ぐらい経てば、講読する人たちには存在が認知されて飽和状態となり、それ以降は何万PVという数字を出しても、そこから登録する人は激減する。最終的に行きつく数字は違うのだけれど、誰でも同じコースを辿ります。株情報やギャンブル情報だとまた別でしょうが、個人を看板にしたウェブマガやメルマガの宿命で、その個人がもっている顧客数は最初からだいたい決まっている」

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