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大塚家具、“お家騒動”だけじゃない失敗の本質。ヤマダの子会社になるまで

ビジネス

 2021年8月30日に大塚家具が上場廃止となりました。1980年に株式を店頭登録。ニトリホールディングスよりも長い間、上場を維持していましたが、ヤマダホールディングスの完全子会社化に伴って、上場企業としての歴史に幕が下りました。なぜ、大塚家具は失速したのでしょうか。本記事ではその顛末をたどってみたいと思います。

大塚家具

IDC大塚家具 新宿ショールーム ©yu_photo

もともとジリ貧の赤字体質だった

 上場廃止、ヤマダホールディングス買収の発端となったのは、2015年の大胆な方針転換でした。創業者・大塚勝久氏とその娘で一時期、代表取締役社長を務めた大塚久美子氏の壮大な親子喧嘩を経て、そのプロジェクトが推し進められたことはよく知られています。

 大塚家具は方針転換後の2016年12月期から2021年4月期まで、5期連続で営業赤字・営業キャッシュフローのマイナスとなりました

大塚家具

大塚家具の売上高(決算短信より筆者作成、以下同じ)

 2015年3月に当時会長だった勝久氏が退任へと追い込まれ、久美子氏が全権を掌握しました。大塚家具の業績がそこから大きく傾いたことは間違いありません。ただし、この会社はもともと赤字体質でした。2008年12月期の売上高は前年割れ。そこから、お家騒動が取り沙汰される2015年12月期まではほぼ横ばいだったことがわかります。

 なお、大塚家具は2019年に決算期を4月にずらしており、2019年度の業績は2020年4月期に内包されます

従来のやり方にこだわった施策は…

大塚家具

大塚家具の売上高と営業利益推移

 利益もほとんど出ていません。営業利益が出ていた2011年12月期から2013年12月期までの営業利益率の平均は1.9%で、2%にも届いていない状態です。競合のニトリホールディングスの営業利益率は、2011年2月期が16.7%、2012年2月期が17.5%です。競合と比較するとその凋落ぶりは明らかでした。

 久美子氏は1994年に大塚家具に入社し、経営企画部長などを経て2009年3月に代表取締役社長に就任しました。社長に就任してから新規顧客を呼び込むべく、北欧インテリアを扱うショッピングモールサイトの開設やセレクトショップの開業など実験的な取り組みをスタートしました。しかし、社長に就任してから5年が経過しても業績が上向くことはありませんでした

 しびれを切らした勝久氏は、2014年7月に業績不振を理由として久美子氏の社長解任を提案し、成立させました。社長として現場に返り咲いた勝久氏は、久美子氏が築いた通販サイトやセレクトショップを次々と閉鎖しました。

 そして従来のやり方にこだわり、ハイブランドの高額商品の広告を大量に打ち出したのです。しかし、大量の広告出稿が仇となり、大塚家具は2014年12月期に4億円の営業赤字へと転落してしまいます

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