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フリーランスに一番必要な能力は「痛覚のニブさ」だ――人気コラムニストの「仕事論」

学び

 フリーランスとはどういう生き方なのか。そして、「働く」とは何なのか。今や組織に属すことのない「フリーランス」という働き方をする人々の数は約1100万人で、労働人口の6人に1人を占めています。

フリーランス

小田嶋隆さん(左)と西谷格

 この連載では、フリーライターの西谷格(男性、37歳独身)が、フリーランスで働く人々に話を聞きます。

 小田嶋隆さん(61歳)は、現在はコラムニストとして活動していますが、もともとは大学卒業後、食品会社に営業マンとして配属されました。しかし、上司に連れて行かれた二次会のカラオケでわざと「君が代」を歌うなどの反骨精神(?)を発揮。

 骨折して入院すると、そのまま1年足らずで辞めてしまったとのこと。その後は30歳近くまで、ラジオ局のADやバンド活動などをしながら、あてのない日々を過ごしていました。そんなフリーランスの“大先輩”に話を聞きました。

当時は「フリーター」っていう言葉もなかった

――小田嶋さんが20代の頃は、今でいうフリーターみたいな感じだったんですか?

小田嶋隆(小田嶋):当時は「フリーター」っていう言葉もなくて、プータローっていう言葉か、あるいは「失業者」っていうより直截な言葉になるのかな。ずっとぶらぶらしていましたよ。でも、当時と今とで少し風潮が違うのは、東京生まれ東京育ちの人間が大学出たあと、30歳ぐらいまで定職に就かないというのは、それほど珍しいことじゃなかったんです。

――それほど肩身が狭くはなかったんですか?

小田嶋:そう。アルバイトしながら、親がかりで実家暮らししているヤツは、そこそこいましたよ。

――今だとニートとか言われちゃいそうですね。

小田嶋:日本経済が右肩上がりだったから、それなりにいい大学出たやつはどっか就職口があるだろうっていう考えだったんです。まあ実際はなかったんですけどね(笑)。

 それに比べると、今の若者のほうが状況は厳しいかもしれない。新卒ですぐ辞めたり就職できなかったりでドロップアウトしちゃうと、一生お前は非正規だよっていう烙印が押されかねないから。

生き残れるかどうかは「運次第」!?

――当時はフリーランスって、今より珍しかったみたいですね。

小田嶋:フリーランスのあり方も、昔と今は少し違う気がします。我々のころのフリーランスっていうのは、最終的に運が良くないとダメだったんですよ。

 ライターなんかの仕事でも、最後にモノをいうのは運だったんです。実力だって大事だし、実力のある連中や根性のあるやつもいっぱい見てきましたけど、結局何が運命を分けているかというと、運だったりするわけですよ。運ってこっちからコントロールできる話じゃないから、ミもフタもないんですけど。

――努力とか実力ではないんですかね?

小田嶋:自分がどうかっていうよりも、業界自体の景気の良し悪しのほうが、個人の能力より影響力としては大きいでしょうね。たとえばライターであれば、今はこういう需要と供給と報酬金額だけど、5年後にどうなっているかは景気次第だから。我々の時代はとにかく右肩上がりだったから、あんまりそういう業界的な見込みまで考える必要はなかったんですよね。

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