「売春島」と呼ばれた離島が「ハートアイランド」になるまで。渡鹿野島の壮絶な歴史
性産業のイメージを払拭する動きが活発化
「そういった想いが強くなっていた2003年、三重県が海岸を整備。スペイン風の休憩所とともに人工の海水浴場・わたかのパールビーチが設置されました。また、その翌年2004年には平成の大合併により、島全体が磯部町であった渡鹿野島が浜島町・大王町・志摩町・阿児町と合併。志摩市となっています」
同年には、産業及び社会教育の実施、生活改善の推進、保健、福祉の増進などを目的とした「渡鹿野島開発総合センター」が設置され、島に対する性産業のイメージを払拭しようという動きはますます活発化。
「渡鹿野地区、そして渡鹿野島にある旅館組合と観光協会は、本土の鳥羽署と協力して2013年に『渡鹿野島安全・安心街づくり宣言』を採択しました。そして、島全体も性産業を排除する方向へと向かっていったのです」
伊勢志摩サミットによるダメ押し
2013年時点では残っている置屋もあり、性風俗に携わる女性も存在していた渡鹿野島。しかし、2004年に合併して志摩市となった賢島(阿児町)が「伊勢志摩サミット」の開催地に選ばれ、開催の3年ほど前からは警察の取り締まりもさらに厳しくなった。
「2016年の伊勢志摩サミット開催を契機に、性風俗に携わっていた女性たちも島から去っていったのです。島内でも『渡鹿野島安全・安心街づくり宣言』を実現するべく、性風俗のイメージを払拭し、新しい産業を生み出すための取り組みを強化していきました」
新しい産業の一環として、区長を含む多くの島民が、渡鹿野島に残る伝説や美しい景観などを生かした観光事業の発展と強化に取り組んでいる。渡鹿野島には現在もスナックを装った置屋などが廃墟となって残るが、こういった負の遺産を凌ぐ日も近いかもしれない。
【後編を読む】⇒<「売春島」で元教職員が取り組む“地域おこし”の全貌「知っていたら応募しなかった」>
<取材・文・撮影/夏川夏実>