「売春島」と呼ばれた離島が「ハートアイランド」になるまで。渡鹿野島の壮絶な歴史
性産業に変化をもたらした売春防止法
性産業で栄えていた島に変化をもたらしたのは、1956年に制定された売春防止法。法律が制定されて以降、警察署のない渡鹿野島にも本土から警察官がやってきて、女性を管理して売春させる管理売春の内偵や取り締まりがおこなわれた。
「警察が何度もやってきて取り締まりをおこなったこともあり、1980年頃から徐々に下り坂となります。ただ、この頃はまだまだ風俗で生み出したお金が税金となるなど、島の生活とは切り離せない重要な産業のひとつでした」
茶呑さんに取材をおこなった「渡鹿野島開発総合センター」の建物自体は、性産業を主としていた当時の税金をもとに1985年に建てられている。一部報道では翌年以降のバブル期1986年に風俗業界が再びにぎわったとあるが、島内の印象とは少し異なるようだ。
「渡鹿野島出身」だと言えない女性たち
「この頃は外国人女性(じゃぱゆきさん)が多く来島し、管理売春に組み込まれた頃。そのため5年ほど賑わいがあったが、性産業自体は下り坂だった」と茶呑さん。
「平成に入ってからは、時代の流れとともに島の風俗業は目に見えて下り坂。まだ営業している置屋もありましたが、どんどんと廃れていきました。この頃、本土ではすでに性産業は風化していましたし、売春防止法の浸透もあって売春に対する風当たりも強くなっていたのです」
平成に入ってからの渡鹿野島は「いまだ性産業が残る特殊な島」として取り残されてしまったという。したがって、島外へ出る女性たちは、出身地を名乗ることが難しくなっていく。
「出身地を名乗ると『あなた、渡鹿野なの?』と白い目で見られることもあったと言います。過去には警察の手入れが何度も入り、性風俗にかかわる女性を囲う置屋などが摘発されていた島ですから、世間体がよくないのは当たり前。どうにかしなければという思いは私だけでなく、島や本土の人たちも同じでした」