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「私が韓国の語られざる歴史を描いた理由」チャン・ジュナン監督を直撃

暮らし

――韓国国内で公開されたときの反応で印象的だったことはありますか?

チャン:1987年に実際に学生運動をして闘っていた母親が、娘と一緒に映画館を訪れて映画を観たそうです。観終わると、娘が泣きながら母親に抱きつき、「お母さん、ありがとう」と言ったというエピソードを聞きました。

 韓国では世代間の壁が大きくなっています。そうしたなか、世代間でお互いに心を通わし、みんなが楽しんでくれている姿を見て、嬉しかったですね。

1987

©2017 CJ E&M CORPORATION, WOOJEUNG FILM ALL RIGHTS RESERVED

――日本での公開は始まったばかりですが、すでにさまざまな国で公開されています。外国での反響はいかがでしたか?

チャン:韓国とほぼ同時公開だった香港や台湾は、同じアジア圏ということで、同じような歴史を持っています。特に香港には2014年に雨傘革命がありましたし、多くの観客のみなさんが観て感動してくださったという反応を聞きました。ありがたかったです。

 しかし遠く離れた西洋では、この映画をどう観るだろうと思いました。登場人物も多いし、韓国という特定の地域での歴史的な出来事を扱っているので、ちょっと戸惑うのではないか、話についてこられるだろうかと心配でした。

――実際、西洋で公開してみた反応は?

チャン:イタリアのウーディネ極東映画祭において、大きな映画館で上映されました。そのとき、私は観客のみなさんと一緒にこの作品を観ました。すると、イタリアの方も一緒に憤りを感じ、泣き、リアクションし、拍手をしてくださったのです。

 驚きとともに非常に感動し、感謝の気持ちでいっぱいになりました。いくら遠く離れていても、真実の力に、人は共感するのだと改めて感じましたね。

大規模なオープンセットやCGで、当時の景色を再現

1987

©2017 CJ E&M CORPORATION, WOOJEUNG FILM ALL RIGHTS RESERVED

――史実であることから、映画を撮影するにあたっては、多くのご苦労があったと思います。さきほども30年前の姿が残っていないとお話されました。しかし、とてもリアルな世界を感じました。

チャン:30年も経ったと言えると同時に、30年しか経っていないとも言えます。多くの人たちが、当時のことを今でも鮮明に覚えているのです。なので映画を作るうえで、少しでも嘘っぽく見えてしまったら、物語自体を観客は信じることができなくなってしまう。

 そのため、本当に細かい部分、小物、衣装、ヘアスタイルなど多くの部分について、当時をそのまま具現化することが非常に重要だと思い、多くの努力をしました。

 スタッフ会議で私が重要だと強調したのが、「その時代の空気すらも、この中にうまくこめなければいけない」ということでした。「空気というのは目に見えないけれど、それさえも30年前のものに感じられるようにしなければならない。それが非常に重要である」と。

 延世大学の前や、市庁広場、明洞といった場所は大規模なオープンセットを作り、なおかつCGの手を借りながら、その時代をリアルに再現しています。

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