福沢諭吉と渋沢栄一の“対照的”な幸福論「一生を貫く仕事を持つこと」
渋沢栄一の言う幸福には「夢」が不可欠
渋沢栄一は、江戸時代末期の天保11(1840)年、現在の埼玉県深谷市に生まれました。生家は畑作、養蚕、藍問屋を営む農家でした。幼いときから勉強好きで、7歳の頃から『論語』を読んでいました。14歳の頃には大人並みの経営手腕を持っていたといいます。
彼は江戸末期から明治維新という激動の時代に生きました。西洋列強の脅威に対するために富国強兵が必要であるが、今の支配階級(武士)ではいけない。むしろ民間の力を結束させ活用しなければならないと考えました。そうしないと、軍艦や大砲を買うことすらできない。ことなかれ主義ではダメであり、当事者意識を持った民間が、自らの信用を高めて国力を上げるべきだと思っていました。
27歳のときに洋行、欧州各国で先進的な産業や社会を実見し、大政奉還にともない帰国しました。銀行をはじめ東京瓦斯(ガス)、東京海上保険(現東京海上日動火災保険)、王子製紙(現王子ホールディングス・日本製紙)など、多くの企業や教育機関、社会公共事業の設立にかかわり、のちに資本主義の父と呼ばれた実業家、慈善家となりました。
信用第一を唱えた渋沢栄一
江戸時代においては、支配階級(武士)が商売をすることは「卑(いや)しい」と見なされていましたが、渋沢栄一は論語の精神を持ってビジネスを進めるべきと『論語と算盤』を出版し、道徳と経済の両輪が幸福を持続するイノベーションであるとしました。渋沢栄一は、信用第一を唱えました。
「信用は実に資本であって、商売繁栄の根底である」。現代もそうですが、企業にとって大切なものは信頼であり、それは財産である。商売の繁栄の基礎であるということです。
利他の精神についてもこう言っています。「単に自己の利益のみを主とし、利益を得んがために、商売をなすというならば、すなわち報酬を得たいために、職務を執るというに同じく、つまり報酬さえ得れば、職務はどうでもよいことになる」。
渋沢栄一は、幸福を求めるには夢がなくてはならないと、この言葉を残しました。
「夢なき者は理想なし。理想なき者は信念なし。信念なき者は計画なし。計画なき者は実行なし。実行なき者は成果なし。成果なき者は幸福なし。ゆえに幸福を求むる者は夢なかるべからず」(渋沢栄一の夢七訓より)