新大河ドラマの主人公「紫式部」の代表作『源氏物語』の意外な真実
紫式部が描いた『源氏物語』の中身は
一方、日本の天皇家でも、後宮のようなものは作られるものの、管理はさほど厳密ではなく、親戚の男性は出入り自由でしたし、場合によってはほかの貴族の男性が出入りすることもできました。
紫式部の代表作である『源氏物語』を見ると、冒頭から主人公の光源氏が自分のお父さんの妻である藤壺と関係を持ってしまうというストーリが―描かれます。本来であれば、天皇家の妻と天皇以外の男性が恋愛関係になるとは、決してあってはならないことです。でも、宮廷に住んでいた紫式部がこうした物語を描いたのは、当時の日本が自由恋愛を容認していたからでしょう。
こうした自由な気質があったからこそ、女性たちが恋愛をテーマにした和歌や物語を数多く生みだし、日本の国文学を確立していきました。平安時代の代表的な文学といえば、『源氏物語』が有名です。「代表的」と言われると、当時の人々は貴族から庶民までみんなが読んでいたのではないか……と想像してしまいます。
平安時代に『源氏物語』を読めたのは…
でも、貴族の多くが『源氏物語』を読むようになったのは、あくまで室町時代に入ってから。平安時代にこの作品を読むことができたのは、作者である紫式部が仕えていた中宮彰子とその夫の一条天皇、そして彰子の父の藤原道長などの限られた特権階級の人だけでした。
その他大勢の民衆を置き去りにして、貴族の中でもほんの一部の人だけに書かれた文学を、果たして平安時代の人々を代表する文学だと表現していいものなのか。そこには疑問が残ります。
なお、当時の文学を見ると、貴族たちは民のことなど考えていなかったこともよくわかります。たとえば、紫式部と同時代を生きた清少納言の『枕草子』には、「にげなきもの(似つかわしくないもの)」という描写があります。このなかで「貧しい庶民の家に清らかな雪が降るのは、似つかわしくない。憎たらしい」と清少納言は書いています。