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超ブラック労働だった「奈良の大仏」建立。多数の死者に“大規模公害”も

コラム

使用した錫は8.5トン、金は400キロ以上…!

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 当時の記録には残っていませんが、やっぱり弊害は確実にあったと思います。東大寺の大仏(盧舎那仏)は高さ16メートルもある巨大な像で、これを造るには約500トンの銅が必要だったのです。莫大な量ですよね。その多くは、長登銅山(山口県)の銅でまかなったことがわかっていますけれど、こうした銅のかたまりを運ぶ作業は、当時としては大変な労力だったと思います

 運ばされる庶民は、きっと大きな負担だったことでしょう。しかも大仏の本体は、そんな大量の銅と錫を火で溶かして混ぜ合わせ、青銅という合金にしたうえで鋳型に流し込んで造るのです。この鋳込み作業は、3年間で8回にわたっておこなわれ、使用された錫は8.5トンにのぼったと言います

 液体になった青銅の温度は1000度を超え、とても危険な作業でした。大失敗した痕跡も発掘調査で判明しています。きっとこの事故で、多数の死傷者も出たのではないでしょうか。ちなみに、完成した頃の東大寺の大仏は、金色に輝いていました。青銅製の大仏に金メッキを施したからです。使用した金はおよそ400キロ以上! しかも、当時の日本列島は金が採れなかったのです。ですから聖武天皇は、お隣の中国(唐)や朝鮮半島から調達してくる予定でした。

金メッキで大量の水銀が発生?

 そんな矢先「陸奥国(東北地方)から金が出たぞ!」という知らせが届いたのです。あまりのうれしさに聖武天皇は、時の元号を「天平」から「天平感宝」に改めるほどでした(同年の内に天平勝宝に改元)。

 しかし問題なのは、大仏に鍍金(金メッキ)をおこなう作業でした。大量の金は、水銀に溶かしてアマルガムと呼ぶドロドロのペースト状にしたうえで大仏に塗りつけます。そして、その作業が終わると、今度は表面を火で焼いて水銀を蒸発させ、金を大仏の身体に定着させるのです。

 この際、作業員や住民の多くが大量の水銀を吸い込んだと思われます。言うまでもなく、水銀は有毒物質です。ですから身体を壊して苦しんだ人が多数出たと推定されているのです。これは日本初の大規模公害と言えるかもしれませんね

 この造仏事業に動員された人数は、延べにして260万人以上。当時の人口は600万人程度と推定されていますから、単純計算で全人口の半数近くにあたります。スケールの大きさにビックリしますね!

 しかも同時進行で、聖武天皇は各国に国分寺や国分尼寺という馬鹿デカい寺を建てていますから、こうした仏教興隆事業は莫大な出費をともないました。仏教の鎮護国家の思想を信じてこの事業を進めた聖武天皇ですが、寺院や大仏の造立で世の中が平和になるどころか、多くの人々が困窮することになったのは間違いないでしょう

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