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余命5年の41歳ラッパーが語る「今日会社を辞めたっていい。選ぶのは自分」

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 東京大学中退という、ラッパーとしては異色の経歴を持ちながら、ニュース番組の司会を務めるなどマルチに活躍する、ダースレイダーさん(41歳)

 2010年、脳梗塞により左眼の視力を失い「片目のおじき」の異名を持つ彼ですが、昨年は「余命が残り5年」であると告白。ヒップホップファンの間では衝撃が走りました。

 前回に続くインタビュー後編では、所属事務所の変遷、そして残された人生をどう過ごし、後世に何を残していきたいのか? 聞いてみました。

事務所を転々とすることになった背景とは

ダース

――漢 a.k.a GAMI率いるヒップホップレーベル「鎖グループ」から「オフィス北野」、そして現在の「吉田正樹事務所」と、まったく雰囲気の異なる事務所に所属したきっかけを教えてください。

ダースレイダー(以下、ダース):鎖グループは長年バトルでバチバチに戦ってきた漢っていうラッパーの会社で、僕はとあるきっかけで2014年春に所属して、運営にも携わりました。

 ただの経営者であればドライに割り切って会社の利益だけを追求すれば良いけど、僕も漢も運営側であり表現者だったから、気づいたら漢が行きたい方向に僕がノーと言うことが多くなってきて。ただノーを言う奴としてずっとここにいるのはあんまり健全な状態じゃないなと。

 でも違うと思っていることにイエスって言うのは嘘だし、嘘をつく人として居続けるのもおかしいし。最終的には2017年7月、会社として方向性を揃えなきゃいけないときに、去ることを決めました。

――鎖グループを去った数か月後、オフィス北野に所属することになったきっかけは?

ダース:「NEWS RAP JAPAN」(AbemaTV)で共演している、オフィス北野所属のプチ鹿島さんにあるとき、「ダースさん、しゃべれるのに何でもっとしゃべる仕事をしないんですか」って言われて。

 そのまま鹿島さんのマネージャーに相談したら、「ダースさんだったら全然できると思いますよ」と。子供のころからビートたけしが大好きだったので「ビートたけしに会えるんだ!」と興奮しました。

 でも入ってすぐ、「好きだ好きだって言っても、所属して3年は会えないよ」って所属芸人さんに言われました。ちょっとでも早く会うために作戦も考えました。たけし軍団の人たちと少しずつ仲良くなっていって、徐々にたけしさんと距離を詰めていこうかなって。まずは水道橋博士、今度はグレート義太夫さん、その次は井手らっきょさんみたいな。

ビートたけしとの初対面は「時空がゆがんだ」

――「ビートたけしに会う」というミッションは達成されたんですか?

ダース:それが、ひょんなことから、入って3か月目で水道橋博士が「殿に挨拶いこうよ」って、たけしさんがいる楽屋に連れて行ってくれたんです。博士が「殿、ラッパーを連れてきました」って紹介してくれて。

 会ったときはグニャッと時空がゆがんだ感じで、よく覚えてないです。いろんな話をしたような、何の話もしてないような、体感時間すら分からない感じ。それが去年の12月の出来事なんですけど、年が明けたらあの独立騒動が起こってました。

 今考えると本当にギリギリのタイミングでした。年が明けていたら会いに行くこともできなかったかもしれません。結局僕が退所するタイミングでもごあいさつできたんですけど、最初のあいさつで「お世話になります」って言って、2回目には「お世話になりました」って話をして終わるという。ちなみにそのときは殿に、「ラッパーなんだったらよう、森社長の悪口言えんだろ」と言われました(笑)。

――そして、今年7月、大手芸能事務所であるワタナベエンターテインメントの吉田正樹会長が代表取締役を務める「吉田正樹事務所(※)」に所属されました。

ダース:今の事務所はナベプロ(ワタナベエンターテインメント)に所属してる先輩ラッパーのKダブシャインさんの紹介です。オフィス北野入ったときにKダブさんと「今までとは勝手が違うだろうから、連絡取り合おうよ」って話になって。

 それでKダブさんがやっている「家事ラップ」っていう花王の家事グッズをラップでプレゼンするって企画のイベントにトークゲストで呼ばれたときに、オフィス北野を辞めた直後だったこともあり、誘ってもらいました。

※『笑う犬の生活』シリーズ、『夢で逢えたら』などを手がけた吉田正樹がフジテレビ退職後、2009年に設立。YouTuberやクリエイターを多く抱え、メディアコンテンツの企画・制作・PRを手がける

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