会社の同期との競争で悩んだら「バルス」せずに「ラピュタ力」を磨こう!<常見陽平>
私自身も、会社員時代に「同期」というものについて悩み続けてきた。
私が「同期」と遭遇したのは、1996年の7月のはじめだった。私は「就活での欠席は厳禁」というゼミに所属していた。その関係で、内定者懇親合宿(拘束合宿とも言う)は1日遅れて参加だった。この時点でアウェイになることは確実だった。中央線や富士急を乗り継いで、河口湖に向かった。
「同期」と遭遇して驚いた。すでに、みんな、仲よさげだ。何より、みんなキャラが濃そうだ。しかも、アルマーニなど高級ブランドを身にまとっている人もいる。その後のレクでも、みんなのキャラの濃さに叩きのめされた。飲みの席ではみな、勢いよく飲む。
人事や同期も次々に宴会芸を繰り出す。いちいち、ノリがよく、悪く言うと下品だった。ただ、ちょっと話し込むと天下国家や、社会のルールを変えたいという話をしだす。意識高すぎて、無理だった。なんというか、『天空の城ラピュタ』のムスカ風の独善を感じる人もいた。
帰りのバスでも皆、飲み続けていた。ワインを飲む際に、フランス語でわけもわからず「ウイ!」と言っている様子に、呆れ返ってしまった。しかも、バスが会社に戻ったら、その後も飲みに行こうと言い出す。ひいてしまい、私は帰った。
この時点から「この会社でいいのか?」という疑問が私の中で渦巻いた。ちょうどゼミがあったので、内定式も行かないことにした。これで私はますます、同期から浮いていく。
同期は後の有名人ばかり
入社式も皆、ギラギラしたオーラで圧倒された。
ちなみに、隣の席はのちにトレンダーズを起業する経沢香保子さんだった。「つね」から始まるので、隣だった。勢いに圧倒されたのを覚えている。派手なクリエイター風のメガネをかけている人がいて、誰かと思ったが、彼こそ、のちに西宮市長になる今村岳司さんだった。
他、現在はエンジェル投資家をしている千葉功太郎さんなど同期には著名人がいっぱいだ。名前を出さないとスネる人もいそうだが。とはいえ、全員静かに社長の話を聴いている様子は、まるでラピュタのロボット兵のようで、自分には無理と思ったのだった。
配属も希望通りにならず、仕事もキツく、同期の輪にもうまく入れず、悶々としていた。「こんな会社、やめてやる!」と若い頃のプロレスラー藤波辰爾のように叫ぼうと思っていた(これって、若い人には誰もわからないネタだな)、尾崎豊のように夜の会社の窓ガラスを壊してまわろうかと思っていた頃、新人フォロー研修なるものがあった。
研修という名のもとの、自己啓発セミナーのようなもので、泊まり込みで先輩や同期に詰められるというものだった。もういやでいやでしょうがなく、途中のガス抜きの公式懇親会で私はウイスキーをラッパ飲みした。
ベロンベロンに気持ちよくなり、何もかも破壊したい衝動が沸き起こり、ステージで楽器を破壊するミュージシャンと自分が重なり、思わずボトルを壁に投げつけたら大破。
リアルにバルスだ。尾崎豊に近づいたような気がした。その瞬間、「やばい」「帰れよ」という声が聞こえたような気がするが、それ以降の記憶はない。いや、本当に。同期からはますます浮いていく。飛行石の力は絶大だった。「やばい奴」になっていったのだった。