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就職先で“Fラン”扱い…「戦後最も偉大な総理大臣」の挫折だらけの青年期

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中学、高校、大学……すべての受験で挫折

 まず十三歳のときに、当時の子供たちの憧れの的だった陸軍幼年学校を受験しますが、視力が悪く、背が低かったために不合格となってしまいました。成績で落ちたわけではありませんが、男の子の場合、身体コンプレックスを抱きがちです。もっとも、身長のほうは後に伸びて、成人する頃には当時の平均を超える立派な体格になりますけれども。

 中学校でもガキ大将ぶりを発揮します。いたずらや喧嘩をしていたほか、中学で酒やタバコを覚えたとの説もあります(鈴木文矢『池田勇人ニッポンを創った男』双葉社、二〇一七年、一〇頁)。

 とはいうものの成績は良く、高校受験を前にすると猛勉強。日本で最も格が高い第一高等学校を目指します。一高から東京帝大へというのが当時最高のエリートコースです。しかし、池田はここでも失敗し、第一希望の一高には入れず、熊本の第五高等学校に入学します

 信用できない池田の伝記には「五高入学となったのは、試験の結果が必ずしも悪かったからではない。当時の高等学校の入学試験制度は、統一の入学試験における成績順で全高校の収容定員の総数の合否を決めた後、その合格者を各校に割り振るというものであったため、成績優秀者といえども志望校に入学できる保証はなかった。……いったん廃止されたが、池田にとって不運なことに、一九一七、一八両年度だけ復活した」などと書かれています(藤井信幸『池田勇人 所得倍増でいくんだ』ミネルヴァ書房、二〇一二年、九頁)。

池田の評価が正当になされないワケ

自民党本部

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 これだけ読むと、統一試験の合格者全員をくじ引きか何かで各地に割り振ったかのように読めますが、そんなことはありません。

 統一入学試験の意図は、優秀な学生の救済です。旧制高等学校の中でも特に人気の高い一高(東京)と三高(京都)の不合格者の中には、他校の合格者より優秀な者が多かったので、彼ら成績優秀者がどこかの高等学校に入れるようにすることを主眼とした制度変更でした(天野郁夫『帝国大学 近代日本のエリート育成装置』中公新書、二〇一七年、九五頁)。

 当然ですが、一高は成績が良い順に合格させ、池田はそこにあぶれたから五高行きとなったのです。池田の運の問題ではありません。藤井という著者は何が言いたかったのでしょうか。さっぱりわかりません。こういう輩が池田について適当なことを書き散らすので、池田勇人の評価が正当になされないのです。

 藤井はあとがきで、「ボス教授が書く予定だったのだが、先生が怪我をして書けなくなったので代わりに書いちゃいました、てへ」みたいな言い訳を書いています。ゴミ本です。池田勇人の専門家以外、買う価値なし。これが学術書を名乗って良いのかと、ミネルヴァ書房の見識を問いたくなります。

嘘だらけの池田勇人

嘘だらけの池田勇人

若き日の挫折人生、中間管理職時代を乗り越え、これからというところで志半ばで倒れるも、その功績で日本を今なお救い続けている池田勇人の知られざる物語

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