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就職先で“Fラン”扱い…「戦後最も偉大な総理大臣」の挫折だらけの青年期

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「東大法学部以外は人にあらず」の世界

 そんなすごい官庁に入れた池田勇人、ここで今までの敗北を取り返したかと思ったら大間違いです。京都帝国大学法学部卒と言えば、どこへ出てもエリート扱いされそうですが、大蔵省だけは別です。大蔵省では「東大法学部にあらずんば人にあらず」です。京大法学部卒の池田は、大蔵省に入ったがために「Fランク」扱いされてしまいます。

 現在の財務省に至るまで、官僚のトップである事務次官に東大以外の出身者が就いたのは、池田勇人と平成時代の藤井秀人(京大法)、そして現在の矢野康治事務次官です

 矢野さんは一橋大学経済学部出身です。経済を扱う役所なのだから経済学部で当然と思ったら、これも大間違いで、天下の法学部は一番偉くてオールマイティ、明治時代から「法科万能主義の弊害」が言われるほど。官僚の世界では、経済学部は二流なのです。東大でも法学部でもない矢野さんは二重の意味でハンデを背負っていたと言えます。ですから矢野次官は正真正銘「Fランの星」です。

 感覚が麻痺しそうになりますが、京大法学部とか一橋大経済学部って、普通は一流大学として扱われます。しかし、大蔵省(財務省)は、「東大以外の次官など、昭和・平成・令和の元号に一人で十分」という役所なのです。確かに、敗戦後に池田、平成の藤井、令和の矢野と、一つの元号に一人ずつです。

池田が大蔵省で「Fラン」扱いされたワケ

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 明治初期の変革期に登用された人たちはともかく、日露戦争直後の若槻礼次郎から敗戦時の田中豊まで、大蔵次官は一人残らず東京帝国大学法学部(その前身の帝国大学法学部)です。

 池田が入省した時には「大蔵省では東大法学部以外は人にあらず」の世界が出来上がっていました。格下扱いされるのは、「一高を出ていない」とか「経済学部だ」という経歴であって、京大の池田は格下扱いすらしてくれない立場だったのです。言ってしまえば、視界に入れてもらえないのです

 大蔵省の「階級差別」をよく表す話が、若槻礼次郎の『古風庵回顧録』にあります。当時、高等官とそうでない人(判任官)とは食堂が別々になっていました。今で言う、キャリア官僚とノンキャリアの違いです。

 大蔵省に入った若槻は、高等官食堂で食事をしていたのに行政整理のあおりを食らって「判任官の食堂に甘んずる」ことになってしまったと晩年になっても憤っています(若槻礼次郎『明治・大正・昭和政界秘史 ― 古風庵回顧録』講談社学術文庫、一九八三年、五四頁。初版は『古風庵回顧録 明治、大正、昭和政秘史 若槻礼次郎自伝』読売新聞社、一九五〇年)。

 若槻礼次郎は温厚な人として知られているのですが、そんな若槻でもこれですから、大蔵省は悪気なく天然で差別する人たちの集まりです。

第2回⇒ノンキャリア官僚だった「戦後最も偉大な総理大臣」が過ごした“ドサ回りの日々”に続く

<TEXT/憲政史研究者 倉山満>

憲政史研究者。著書にシリーズ累計35万部を突破した『嘘だらけの日独近現代史』『嘘だらけの池田勇人』(扶桑社新書)などがある

嘘だらけの池田勇人

嘘だらけの池田勇人

若き日の挫折人生、中間管理職時代を乗り越え、これからというところで志半ばで倒れるも、その功績で日本を今なお救い続けている池田勇人の知られざる物語

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