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京大卒リーマンから『相棒』俳優に。山西惇の究極の選択「下北沢か、ハワイか」

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プロには進まず石油化学の会社に就職

こまつ座

こまつ座『日本人のへそ』(撮影写真/宮川舞子)

――ですが、そのままプロの道には進まず、教授の推薦で石油化学の会社に就職することに。

山西:先輩たちも卒業と同時に就職していきましたし、自分も「芝居で食べていく」みたいな感覚はなかったです。なので、演劇は仕事が落ち着いた頃に、またサークル的に続けていこうかな、くらいの感じでした。それでそのまま1年間、芝居と離れて、就職したメーカーで普通に働いてました。

――しかし、社会人2年目にして「そとばこまち」に復帰。

山西:そうなんですよね(笑)。劇団が創立10周年の時だったかな。またやらないかと声をかけてもらって、ゴールデンウィーク期間の公演に参加することにしました。そのスケジュールなら、仕事と両立できると思って。ですが、その公演の後、先輩たちが揃って退団してしまい、このままだと「そとばこまち」が消滅するって事態に陥っちゃったんですよ。

会社員と舞台役者の“二重生活”に

山西惇

――うわあ……そこで本格的に企業での仕事と演劇を両立させる怒涛の日々が始まるんですね。

山西:誰も引き継ぐ人がいないなら僕たちがやりますと手を挙げたのが、生瀬勝久さんと、今は共同テレビにいる小松純也さん、そして僕の3人だったんです。

 会社勤めをしてからも生瀬さんとは仲が良くて「仕事しながら一緒に楽しいことやろうよ」なんて話してましたが、まさかここまでまた演劇にどっぷり浸かることになるとは(笑)。夜遅くまで稽古して、クタクタになって自宅に戻って、朝になると出社して……若いからやれたんでしょうね。

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