10回忌のS・ジョブズが実践した“考えない瞑想”。1回15分でもOK
日本人僧侶から習得した宇宙にたゆたう「坐禅」
一般に坐禅というと、集中力を発揮して特別な能力を獲る手段と考えられがちだが、曹洞禅の坐禅はまったく異なる。それは「得る」のではなく、逆に「放つ」坐禅。「只管打坐(しかんたざ)」といって、目的や目標を持たずに、作法に則りただただ坐るものである。
人は普段、頭でっかちにあれやこれやを考え続けて生きている。そして、その考えに基づいて世界を捉えようとする。だが実のところ、人間は宇宙の塵のひと粒にすぎない。只管打坐とは、「人間モード」をひととき捨てて、あるものをあるがままに受け止め、自然に還る行為。だから、目的も目標も定めない。定めてしまえば、いつもと同じ「人間モード」に戻ってしまうからだ。
弘文は、「本当に正しい姿勢で坐禅する時、何もないかのような地平にいたる。小さな自分の存在を忘れた瞬間、全世界が現れる」と語ったが、ジョブズが行(ぎょう)じたのも、娑婆世界の「はからい」から放たれた、大宇宙にたゆたう坐禅だった。
とはいえ、やすやすとこの境地にいたることはできない。ジョブズも認めたように、「そのためには修行が必要だ」(前出『スティーブ・ジョブズ』)。
そこで、初めの一歩として、自宅でできる「ジョブズの習慣」を案内したい。意外だろうが、曹洞宗の坐禅は、1)開かれた空間ではなく壁に向かい、2)目は閉じずに開いたまま坐る。日本では通常、線香1本が燃えつきる約40分間坐禅するが、欧米では15〜30分の坐禅会も多い。弘文によれば、「ジョブズは1時間以上坐禅できなかった」とか。まずは、自分好みの時間で試してみよう。
ジョブズ式坐禅をやってみよう
*用意するもの/お尻がおさまる大きさのクッションか、座布団。座布団の場合は二つ折りにする(いずれは、「坐蒲(ざふ)」と呼ばれる坐禅用の座布団を購入するとよい)。
坐禅を始める前に、壁に向かって合掌、一礼。合掌は、指の先端が鼻の高さに合うようにし、肘を張る。次に時計まわりに180度回転、壁を背に合掌、一礼。再び180度回って壁に向き合う。これは、自分を取り囲む空間や自然に敬意を表す行為。
壁に向かってクッションに坐る。あまり深く坐らず、前半分から3分の2くらいの位置に。坐る形は、右足を持ち、足裏を天に向け、左の腿の上にのせる「結跏趺坐(けっかふざ)」か、同様に、左足を右の腿の上にのせる。のせた足でやや腿を圧する感じの「半跏趺坐(はんかふざ)」で。
足を組んだところで、合掌、一礼。これは、これから坐禅しますよという自然界への合図。
手を組む。右の掌を上向きに足の上に置く、その上に左の手を置く。両手が卵の形になるように、親指同士を軽く触れ合う程度につける。強くつけると、肩が凝り身体が緊張してしまう。
腰を伸ばし背骨を立てる。鼻と臍(へそ)が垂直にまっすぐ、肩と耳が水平にまっすぐになるように。かの良寛さん(江戸時代後期の曹洞宗の僧侶)はこの姿勢を、「臍(ヘソ)と鼻孔をまっすぐに置くと 耳が肩まで垂れてくる」と表現した。弘文も、「坐禅時に適切な姿勢を保つことを繰り返し勧めたいと思います。なぜなら姿勢は心の鏡、身体を貫く目に見えない生の反映だからです」と説いた。
目線を、斜め45度に落とす。何かを強く見つめるのではなく、半目を開き1〜1.5メートル先に視線をもっていく。この後、体内の空気を入れ替える。鼻から息を吸い口から出すことを3回ほど繰り返し、最後にすーっと吐ききったところで口を閉じる。後の呼吸は、鼻を通じて。
右左前後、どこにも傾いていないニュートラルな姿勢を見つけるために、お尻の位置を動かさずに、上半身をメトロノームのように左右にゆっくりと振る。最初は大きく、徐々に小さく、呼吸を止めずに7、8度動かし中心と感じたところで止める。
ここから、自分で決めた時間、この姿勢を保って坐り続ける。重力に身体をまるごとゆだねる気持ちで。重力にゆだねると、自然の反作用で床から上体をまっすぐに通す力が返ってくる。呼吸は腹式呼吸。「頭のてっぺんから背骨、そして尾骨を通るような」「今、ここにいる自分を保つようななめらかで深い呼吸」(ともに弘文談)を心がけたい。
坐禅を終えたら、壁に向かって合掌、一礼。上半身を最初は小さく、徐々に大きくゆっくりと左右に振って身体をほぐす。立て膝でクッションを整え、立ち上がって合掌、一礼。時計まわりに180度回転、壁を背中に向けて合掌、一礼。