「我が社がマスクを作ったワケ」建設機械用メーカートップが語る
プラザ合意が海外進出のきっかけに
「油圧フィルタを製造する工場は佐賀に構えていましたが、円高の影響を受けて原価改善をしなくてはならない状況でした。また同じ頃、韓国や台湾といったアジア勢がヤマシンフィルタと同じ見た目で、値段は半分以下のフィルタを市場に投入してきていた。こうした板挟みの状況の中、どうしたら現状打破できるか色々と考えなくてはならない時期でしたね。
当初は韓国や台湾の企業と競争するのではなく、手を取り合おうと画策しましたが、取引コストの折り合いがつかず、他の海外拠点を探すことになりました。最終的に人件費が国内の10分の1で、生産拠点にふさわしいフィリピンのセブ島に進出見通しが立ったのは1989年の4月でした」
かくして、海外拠点での製造をスタート。その後、アメリカ、ヨーロッパに販売拠点を広げ、現在は日本、中国、アジア、北米、欧州にまでグローバルネットワークを築いている。
お客様の役に立つ”仕濾過事”の精神
ヤマシンフィルタの社是には、「仕濾過事(ろかじにつかふる)」という言葉がある。山崎社長は「先代が作った造語で、仕事という漢字の真ん中に『濾過』を入れ、フィルタビジネスで社会のお役に立つということ」としながらも、その真意を説明する。
「社会の役に立つということは、すなわち顧客の視点に立ってサービスを提供し、お客様に喜んでもらうことです。お客様のお役に立てるものなら、原価や納期など関係なしに、究極的に全ての要望を受け入れる姿勢を持つことなのです。
建機業界は4年に一度のサイクルでモデルチェンジする機会があるのですが、新たに発注いただけることもあれば、契約打ち切りになることもある。つまり、チャンスにもピンチにもなりうるわけで、こうした状況でお客様から『無茶振り』がきて断ろうものなら、他社に利益を持っていかれてしまう。
チャンスは前からしか来ないので、あらゆる顧客の要望に応えられるよう、バックの自社開発チームには絶大の信頼を寄せています。営業には『打たせて取る野球をイメージして』と伝えており、とにかくお客様の要望をしっかり受け止めて、まず受注しようと。開発部門が要望通りのフィルタを必ず開発してくれると社内全体が信頼することで成り立っており、イノベーションが起こせるのだと感じています」
3度目の正直で上場を果たす
2000年以降のヤマシンフィルタは海外拠点も増え、2017年頃からは山崎社長自ら毎月世界を一周する生活を続けていた。しかし、「体力的な限界と企業の継続性から見ると改めないといけない」と悟ったという。
「社長がワンマンで事業を回していくことは中小企業の強みだと思っていました。世界中を回って、取引先などのネットワークを構築するのも大事ですが、システムで動かせるような組織体制を作らないと、年齢的な問題もあって会社自体が継続できるかわからない。こうした背景から、上場を視野に入れるようになりました」
しかし、ここからが苦難を迎えることとなる。まず、2005年からJASDAQ(ジャスダック)上場の準備に入ったものの、2008年のリーマンショックで頓挫。翌年には、V字回復して売上が戻り、今度は東証二部へと焦点を当てていたが、2011年3月に起きた東日本大震災や、7月に発生したタイのアユタヤ工場の洪水被害によって、またも断念せざるを得なかった。
「IPOはどんなに会社がうまくいっていても、その時の運もあるのだと身をもって感じました。3度目の正直である2014年に東証二部へ上場を果たし、そして2016年には東証一部へ指定されましたが、嫌気をさして辞めていく社員も中にはいました。ただ、上場する上で経験した苦難を糧に、新しいヤマシンフィルタのあり方を考えるきっかけにもなり、社員一丸となって事業を創る結束の心が生まれたのも事実です」