受験エリートの転落人生…ドイツ文学の金字塔が描く、人生の深い意味
どうして退学や機械工がおしまいなのか
しかしどうして退学や機械工がおしまいなのか。もう退学して職を変えてしまったのならば考えても仕方ない。経済学や経営学では、もはや取り返せないコスト、計算する必要のないコストとして、「埋没コスト」と言われるものである。
どうしようもないならば、とりあえず「神学校を退学して機械工になるというめずらしい経験ができたぞ」とでも考えておいて、自分の目標に合わせて次に打つべき手を着々と考えるしかないだろう。
これに関して、筆者がある企業人にインタビュー調査を実施したときのことを思いだす。
その方は、有名大学卒業後に超一流とされる企業に入社したが、最初の配属が工場の糧食班だった。ご本人いわく「大学を出て他人の飯の世話はいやだ」と思ったそうである。だが配属が基本的に一生変わらないとわかると、心機一転、糧食のプロになろうと決めたそうだ。
受験は一瞬だが人生は一生続く
そして、喫食率を上げる様々なプロジェクトを立ち上げ、同時に食堂の動線改善をおこなった。かくして食事の品質が最高でコスト最安の食堂を作り上げた。
そこにやってきたのがその会社の当時の社長であった。その社長の目にとまり、その方はそこから出世コースに配属転換され、部長、取締役と進み、ついに兆円企業の社長となった。
受験は一瞬だが人生は一生続く。あきらめずに次の手を打ち続けることが大事である。そんな無茶な、と思われるかもしれないが。作者のヘルマン・ヘッセ自体が、経歴は主人公ハンスと似ているものの、職を転々としながらも着実に詩人・小説家になる夢を実現した人物である。
この『車輪の下』もヘッセはいくつもの出版社に持ち込んできちんと営業もしている。ヘッセ自体はエネルギッシュなハイルナーの側面も持っていたのだ。ハイルナーの上の名前が「ヘルマン」なのも偶然ではないだろう。
<TEXT/岩尾俊兵>