受験エリートの転落人生…ドイツ文学の金字塔が描く、人生の深い意味
原因不明の頭痛に悩まされるようになり…
おとなしいハンスとエネルギッシュな問題児ハイルナーは、自分に足りないものを感じ取るのか、互いに気が合う。しかし、ハイルナーが問題行動の末にあっけなく退学となると、ハンスは徐々に勉強にも身が入らなくなり、原因不明の頭痛に悩まされるようになる。
最初はこれまでの知識の蓄積でなんとか周囲についていけたが、徐々にそれも不可能になる。ついには、授業に出ていても教師にまったく反応できないほどになる。今でいえば鬱状態だ。そうしてついにハンスは実家に戻される。
ハンスの父親は彼のために役所の仕事か機械工の仕事を紹介してやろうと持ち掛ける。ハンスは幼馴染が機械工になっていたことを思い出し、彼をたずねる。やがて彼は機械工として、まさしく歯車製造にかかわるようになる。
ある日、ハンスは幼馴染と機械工たちと一緒に酒を飲みに出かける。アルコール度数の強い酒も飲み、酔いが回るにつれて、ハンスは自分が落ちぶれたとしみじみ感じてくる。帰り道、酔いのあまり草むらにかがみこむ。それから1時間して、酔いも少しはさめたのか、家に向かって彼は歩き始める。
ハンスは落ちぶれたのか?
ここから、空白行もなしに突如としてハンスが死んでしまったことが語られる。川に流されてしまったのだという。帰り道に何が起こったのかは明らかにされない。足を踏み外したのか、自分から川に飛び込んだのか、ほんの少し前までは家に帰るつもりだったはずなのに、である。
『車輪の下』は受験エリートがやがて挫折していく様子をありありと描く。「有名進学校に入ったのに」「○○大学に入ったのに」「○○株式会社に入ったのに……」という話はよくきくだろう。エリート街道だと思っていたら道を踏み外した、落ちぶれた、というエピソードはそれくらい身の回りにありふれている。
それと同時に、この文学作品はハンスの何がいけなかったのかを教えてもくれる。『車輪の下』を読んだ人は、心を締め付けられるとともに、完全には同意できない部分も出てくるだろう。それこそが生きる上でのヒントになる。
たとえば神学校を退学したことや機械工になったことに対して、ハンスが「すべてはおしまいだ」と思ったこと。実際に、物語の終盤でハンスはこうした歌詞を自作して歌っている。