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突然の訃報に世界中が衝撃。コービー・ブライアントが築いた軌跡とは

今でも語り草になる「ドリームチーム」

コービー

『KOBE BRYANT THE MAMBA MENTALITY HOW I PLAY 』(イースト・プレス)

 1992年に開催されたバルセロナオリンピックでは史上初めて、現役NBAプレーヤーが参加した大会として、全世界のスポーツファンに記憶されている。

 マジック・ジョンソン、マイケル・ジョーダン、チャールズ・バークレーらスーパースターが顔を揃えた米国代表チームは「ドリームチーム」と呼ばれ、当然のごとく、金メダルを獲得した。

 何より、当時の選手たちは形容しつくせない程の華やかさを備えており、スポーツ大国・アメリカの象徴的存在として、今なお語り継がれている。そしてオリンピックにおけるバスケットボール競技はこの大会以降、アメリカの独壇場となっていくはずだった。

 バルセロナ、そしてその4年後のアトランタはいずれも圧倒的な強さで頂点に登り詰めたものの、2000年のシドニーでは金メダルを手にしつつも他国の追随を許してしまう。

 そして2004年のアテネでは3敗を喫し、ついに金メダルを逃す結果に。米国チームはいつしか「ドリーム」と呼ばれなくなっていく。

アメリカ復活の原動力として

 そんななか、コービー・ブライアントは代表チームの一員として米国の金メダル獲得に貢献した。2008年の北京、2012年のロンドンと、2度の五輪に出場し、主力として連覇を成し遂げたのだ。

 初めて五輪代表として出場した2008年北京ではプレーだけでなくチームをまとめる立場として先頭に立ち、2大会ぶりの金メダルをもたらした。その4年後にも33歳でロンドン五輪に出場し、連覇の原動力となっている。

 2大会とも無敗で金メダルという、アメリカのかつての強さを見事なまでに取り戻した。五輪代表を再びドリームチームとして蘇らせたのは間違いなくブライアントの存在だった。

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