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リクルートから被災地へ。1405日間の仮設住宅暮らしで見つけた「地方創生」のカギ

ビジネス

「俺たちだって何もできないわけじゃない」

 ではなぜ畑をやっているのかと聞くとこんな答えが返ってきた。「復興支援っていってたくさんの人に支援してもらえる気持ちはうれしいけど、でも被災した俺たちだって何もできないわけじゃない。何かを生み出せるってことを見せたくてさ」と。

 この言葉は今でもよく覚えている。被災者の方がどんな気持ちで支援を受けているのか、支援する側はわかっているようでわかっていない。まず地域の方に望まれてやるのか。この言葉はその後、地域活性の仕事をする今の立場になっても大事にしている。

 これをきっかけに畑をはじめたが、その年の夏にはトマトにナス、パプリカやハーブ類、果物もスイカやメロンなども栽培し、ほぼその日食べる分は賄える自給自足のような生活ができるようになっていった。都会の自分には考えられないような生活が少しずつ始まったのである。

気仙沼仮設住宅

気仙沼仮設住宅で育てていた野菜.夏から秋にかけてはほぼ毎食これを食べていた

 するとどうだろう、そこから住民の方との距離が縮まりいろんなお誘いやお願いが来るようになった。漁師の方や農家の方に会ってお手伝いをしたり、街のお祭りに出て太鼓を叩いたり、地域にある資源を逆に自分のようなヨソモノの新鮮な目線で見て価値を提案することで観光業に活かしたり、新しい水産加工品の開発のヒントを伝えたりと自身の介在価値を少しずつ作っていけるようになった(このあたりは今後追々書いていくことにしたい)。

気仙沼

気仙沼一番の祭りである、海上にねぶたを積んだ船に乗り太鼓を叩く「気仙沼みなとまつり」に参加

エコノミック・アニマルが被災地仮設住宅で見つけたこと

商品開発

地域の低利用資源を活用するための気仙沼産ホヤを活用した調味料の商品開発

 これまでの自分は、入社した会社からのミッションを忠実に守り利益貢献することが日々の社会人としての務めであり、それで出世して昇給していくことしか知らなった。だが見えていた視界はかなり狭く、裏返せば都会で会社の人間として褒められることはあっても、個人として社会で価値を感じてもらえていると思える機会は少なかった。

 こうしたローカルに入り、その街の住民や地域資源と向き合い、自らの個人の価値を探し見出していくことのやりがいを強く感じることとなった。そういえば『働く』という言葉は自分によって「傍(はた)のヒト」が「楽になる」という語源だと聞いたことがある。

 まさに地域社会の中でどう自分が介在して生きていくのかについて、自身が学んだことについて今後書いていきたいと思う。ぜひ私のような都会でしか働いたことのない方々に読んでほしいし、機会があれば彼らのようなそんな機会にチャレンジしてほしいと思う。

<TEXT/森成人>

関西大学卒業後、1999年リクルートに入社。新規事業開発の仕事を経て、2013年4月より被災地気仙沼市へ出向。仮設住宅暮らしをつづったブログ「気仙沼出向生活」が話題。現在はじゃらんリサーチセンターに所属しながら気仙沼市復興アドバイザー、さらに観光庁登録の専門家として地域活性の仕事に従事

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