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日ハム大田泰示が年俸1億円…トレードで花開いたプロ野球4選手

 今オフもプロ野球界は多くの選手による契約更改のニュースで賑わった。なかでも話題となったのが、北海道日本ハムファイターズの大田泰示だ。移籍3年目で自身初の年棒1億円の大台に乗せた。

大田泰示

※画像は北海道日本ハムファイターズ公式サイトより

 東海大学付属相模高校を卒業後、ドラフト1位で巨人に入団。身体能力の高さから、スラッガーとして大きな期待を寄せられていたものの、殻を打ち破ることができなかった。しかし、ファイターズへのトレードが大きな転機となり、中心打者として花開いた。移籍3年目の今シーズンは自身のキャリアハイを更新している。

 大田と同様にトレードでの「放出」という憂き目にあいながらも、逆境を跳ね返し、新天地でチャンスを手繰り寄せた選手にはそれぞれのドラマがあった。

吉岡雄二:若きスラッガーは移籍で才能が開花

 球界の盟主と呼ばれる読売ジャイアンツでは出場機会に恵まれないものの、移籍先で、その才能を開花させるケースは少なくない。1990年代、大阪近鉄バファローズ(当時)へとトレードで移った吉岡雄二もその一人だ。

 平成最初の夏の甲子園で帝京高校をエースとして優勝に導き、その年のドラフト3位で巨人に入団。その後は肩の怪我もあり、打者転向を図り、二軍ではその潜在能力の高さをみせるも、7年目まで一軍での出場はごくわずかだった。

 迎えた1997年、交換トレードで近鉄へ移籍。この移籍が大きな転機となり、近鉄での2年目には13本塁打を放つなど、定評のあったバッティングセンスが一気に開花することに。

 翌年からは初の規定打席にも到達し、強力打線において十分な存在感を発揮し、2001年のリーグ優勝時には自己最多の26本塁打、85打点を記録。タフィ・ローズや中村紀洋らとともに「いてまえ打線」の一角を担った。

 近鉄で大きな飛躍を遂げた吉岡は、巨人という名門の重圧から解放され、新天地で活躍を遂げた典型的なプレーヤーだったと言えるだろう。

野田浩司:移籍時の雑音を吹き飛ばした快投

甲子園

 トレードという形で新天地を求める選手は数多いが、先発投手として飛躍を遂げた者はそれほど多くない。投手の分業制が確立されてきた平成以降、移籍先での活躍が目立つのは救援投手がほとんど。1993年に阪神タイガースからオリックス・ブルーウェーブ(当時)へ移籍した野田浩司は、極めて希少な例だ。

 阪神時代からも能力の高さは認められており、速球とフォークボールを武器に入団5年目までで35勝を挙げている。だが毎年の様に負け数が上回るなど、期待通りの数字を残せず、1992年のオフにトレードでオリックスへ。交換相手がパ・リーグを代表する打者である松永浩美だったことは、野田の実力の高さを表していながらも、「不可解」なトレードとして捉えられていた。

 しかしリーグを跨いだ1年目、17勝を挙げ、いきなり最多勝に輝いた。その後も二桁勝利を続け、ローテーション投手としての役割を充分に果たしている。3年連続で200奪三振を達成し、1995年には1試合での最多奪三振(19個)という日本記録も打ち立てるなど、痛快なまでに自身の個性を発揮。チームのリーグ連覇(1995、1996年)にも大きく貢献している。

 野田と同じく、トレードでの移籍先で数年に渡って活躍した先発投手は、現在まで現れてはいないのではないだろうか。

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