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原辰徳監督の「FA人的補償」撤廃案。過去には19歳で放出された選手も…

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 フリーエージェント(FA)での人的補償制度の「撤廃」を。11月初めに伝えられた読売ジャイアンツの原辰徳監督の発言が大きな話題を呼んだ。

 野球界活性化に繋がるであろうFA移籍に、人的補償制度が存在するのは、その妨げになっているという主張だ。制度の撤廃、または28人のプロテクト枠の拡大案にまで話が及んだ。

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『原点―勝ち続ける組織作り』(中央公論新社)

 原監督は「プロテクトリスト作成はつらい作業」ともコメントしており、今回の発言は、様々な意味が込められている。

 これまでFAにおいて、最も多くの選手を獲得してきたジャイアンツ。補償として選手を「交換要員」で送り出したケースも最多だ。FAでの人的補償となった選手を振り返りながら、言葉の真意を探っていく。

若手、生え抜き、ベテランも対象に

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 人的補償は1996年、川邉忠義投手が河野博文投手の補償で日本ハムへ移ったのが最初のケースだ。巨人からは13人の選手がFA加入に対しての人的補償として移籍している。

 なかでも、2002年平松一宏、2014年一岡竜司、2015年奥村展征と2017年平良拳太郎といった在籍期間も短く、年齢も若い選手の移籍も目立った。特に、奥村は当時19歳、プロ入り2年目で補償の対象となり、様々な物議を醸した。

 江藤智、工藤公康と藤井秀悟は、他球団から巨人にFAで加入し、補償での移籍となったケースだ。また、今季より新天地に移った長野久義と内海哲也は、生え抜きとして長年にわたり巨人の主力だった。プロテクトから外れたことは衝撃的ともいえる。

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