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引退する楽天今江、広島新井…FA移籍で辛酸をなめたプロ野球選手4人

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新井貴浩:広島よりFAで阪神へ、再び古巣復帰

新井貴浩

『引退記念 新井貴浩・全力疾走~あの日、あの時』(中国新聞社)

 2008年、広島カープから阪神タイガースへFA移籍を果たした新井貴浩。広島時代には本塁打王も獲得、オリンピック日本代表にも選ばれている。広島を離れ、縦じまのユニフォームを着てからも期待通りの活躍を続けた。

 特に阪神移籍初年度に行われた北京五輪ではケガにより万全な体調でない中でも4番の重責を担い、様々な環境において高いパフォーマンスをみせつけた。2009年からは3年連続、シーズン全試合出場を記録、球界屈指の人気球団の重圧にも屈することなく存在感を発揮し続ける。

 だが入団から7年目の2014年、外国人選手とのポジション争いからベンチに座る機会が増え、成績も低迷、ケガもあり出場機会が激減した。代打中心となり、レギュラーとして、そして4番としての出場の機会も失われていく。結局その年のオフに出場機会を求め阪神退団を決意。

 それでも翌年に古巣である広島に復帰すると、再び打棒が蘇った。2016年シーズンには打率.300、100打点を記録し、カープの25年振りのリーグ優勝に大きく貢献。

 FA移籍後、成績の低迷による退団を経てもなお、高いパフォーマンスを発揮するという、希少な例を示した選手でもあった。

落合博満:華やかな始まりも傷つけられたプライド

落合博満

『采配』(ダイヤモンド社)

 FA制度導入初年度の1993年オフ、中日ドラゴンズより落合博満が巨人に入団。三冠王を3度獲得するなど当時、球界最高の実績を誇っていた落合のFA移籍は大きな話題の的となった。巨人入団会見では「(当時の指揮官)長嶋監督を胴上げする」と、球界の盟主と呼ばれる名門の新たな4番として、並々ならぬ意気込みを語っていた。

 翌1994年、宣言通り開幕からベテランらしいバッティングを披露し打線の核となる。若き松井秀喜らと共にチームを牽引し、5年振りとなる日本一に導く。その後も2年間、FAやトレードなどでチームの主力が入れ替わる中、不動の4番打者として君臨し、1996年には移籍後2度目となるリーグ制覇に貢献した。

 しかし、その年のシーズン終了後、巨人は翌1997年に向け更なる補強を敢行、翌年の自身の扱いについて落合本人と球団の間で軋轢が生じるまでに。結果、チームでの存在意義が薄れたと捉えると自由契約を申し出、他球団へ移ることを決意した。

「(自身の移籍の問題で)長嶋監督の悩む顔はもう見たくない」退団会見の場でのその言葉を残し、日本ハムファイターズに移籍。笑顔の入団会見から僅か3年、あまりにも切ない結末だった。

 振り返ると、現在まで続くFA史において、目まぐるしい程に獲得を重ね続ける巨人の未来を暗示するかのような、大打者・落合博満の3年間だったように思えてならない。

<TEXT/佐藤文孝>

新潟県在住。Jリーグ、プロ野球、大相撲やサッカーW杯、オリンピックなど多くのスポーツの現場に足を運び、選手、競技から伝えられる感動を文章に綴っている

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