bizSPA!フレッシュ

新宿駅の人身事故をスマホ撮影。SNS社会で何が失われたか?<ダースレイダー>

コラム

単なる“記号”ではなかったアナウンス

――新宿駅の駅員が「お客様のモラルに問います」と主体性を持って呼びかけていた点についてはどう思いますか?

ダースレイダー:すごく良いことだと思っています。機械がしゃべっているのではなくて、実は全部、人。単純にAIロボットが動いているのと違って、それぞれにそれぞれの人生があって、電車を運転しているのも、鉄道会社を運営しているのも、それを利用しているのもすべて人間。そしてそのいろんな人間が構成しているのが社会。

 このイメージを教育の早い段階でみんなが持っていれば「どういった行動をすると、どういった人がこういう思いになる」って想像ができる。今、完全に自分のことしか考えていないからこういったことが起きる。

 主体性を持った働きかけ。これはニューヨークとかの地下鉄アナウンスにある傾向で、「僕の意見はこう」「私はこう思います」ということが前提にあって、その上で事務的な話をする。

 今はほとんど事務的な話だけが存在するから、何なら誰も耳を貸さない。「次の駅はどこどこです」みたいなアナウンスは、もう記号としてしか受け取っていない。だけど、本来の言葉であったり、人がしゃべるものには感情があったり、考えがあることを思い出さないといけない。

我に返るべき人たち

歩きスマホ

ダースレイダー:Twitter上で距離感、言葉遣いを誤っている人が多いのは、そこに人が存在していることを考えないでやっている人が多いから。相手を人間だと思っていないし、自分自身が人間ではなくなっている。

 人間じゃなくなっているのであれば一度、人間に戻らないとまずい。こういうタイミングで、スマホをブルーシートに突っ込んでいた人は一度我に返ってほしい。全部人だということを忘れさせているのがスマホ。みんなイヤホンして、スマホの画面見て、周りにいるものが風景みたいな扱い。風景の写真を撮っているような感じになっちゃっている。

 これは「異例のアナウンス」って見出しになると思うんですけど、そうしないとみんな我に返らない。特に新宿、渋谷のターミナル駅の人の多さ。あれだけ人間が流れていて、いちいちすべての人に「生活が~」「家族が~」って想像すると大変な情報量になっちゃう。でも、彼らは決して同じではなくて、歩行者A、歩行者Bのように歩いているわけではないと、心に留めてほしい。

<構成/鴨居理子 撮影/山口康仁>

1977年パリで⽣まれ、幼少期をロンドンで過ごす。東京⼤学に⼊学するも、ラップ活動に傾倒し中退。2010年6⽉に脳梗塞で倒れ合併症で左⽬を失明するも、現在は司会や執筆と様々な活動を続けている。

おすすめ記事