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「僕がフジテレビを辞めて台湾でアイドルを目指した理由」映画監督・三原慧悟

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 元フジテレビ社員で、現在は台湾でフォロワー51万人超の大人気YouTuberかつアイドルとして活躍している三原慧悟さん

 実は慶應義塾大学在学中から映画監督として数々の賞を受賞しています。

 3月24日から公開中の『台湾より愛をこめて』で商業映画デビューを果たした彼に、本作について、また自信満々で入った会社を辞めたきっかけやYouTuberになってからの月収など、正直聞きづらいことをインタビューしてきました。

三原慧悟

【三原慧悟】1989年生まれ。慶応大学卒業後、新卒でフジテレビ入社。退社後、本格的にYouTuberデビュー。チャンネル登録者数は50万人を突破、台湾でもっとも有名な日本人の一人とされる。本作が商業映画初監督となる

――まだまだ人気のテレビ業界を辞めるのは勇気がいることだったと思います。

三原慧悟(以下、三原):僕自身も、もったいないなとは思いました。慶應を出てフジテレビに入ったからには、ドラマを作ってヒットさせて、夢の映画監督になるという戦略を立てていたんです。僕は学生時代に映画を15本撮っていて、フジテレビで「月9」を撮れる実力をつけて入ったと思っていましたから。

――めちゃくちゃイキっていたんですね。

三原:謙虚にはしていたんですけどね(笑)。ただ、営業の部署に配属されたので、すぐにドラマが作れる状況ではありませんでした。

 フジテレビに新卒で入社する人って、映像を専門で学んでいたわけじゃないので、だいたい5~6年の下積み期間があります。でも「こっちはドラマ撮る準備万端、アップは完了してんだよ」ってむしゃくしゃして、ひたすら自分で映像作ったり、脚本を書いたりして、ドラマの部署のプロデューサーに送りつけていました。

――すごい!

三原:実際、入社1年目で運良くBSのドラマを撮らせてもらったんですが、なんかフツーだなって思っちゃって。自分の実力もフツーだし、仕上がりもフツー。イキってた割に自分はすごくないんだと、ひしひしと感じました。

 今のテレビドラマって制限が多いので、誰が撮っても似たようなカット割りや構成にならざるを得ないんじゃないかと悩みましたね。

 そんなときにGYAO!の人から「ネットが流行ったものがテレビに戻ってくる」と聞いて、「そうか!」と。

 子供のときから僕にとってネットは身近な存在でしたし、テレビ局の偉い人を押さえて、自分がトップで仕事を任され自由に何か作っていくとしたら、会社のインターネット配信部門しかないと気づきました。

三原慧悟

自由に作っていくならネット配信しかないと気づいた

――そこからYouTuber期に入ったんですね。

三原:当時の僕は24歳で貯金が200万円ある自分にむかついていました。「何貯金して安定求めてんの?」って。そこで仲間を集めて、その200万をつぎ込んでYouTuberを始めたんです。

 その頃、ネット上で一番観られているフジテレビの動画は1週間で10万回再生だったので、とりあえずその上を行こうと思って、試行錯誤したら1週間で12万回再生。

――勤務先の実績を上回ってしまったんですね。

三原:それでそういったデータを集めて、今度はネット動画の部署の人にプレゼンにいきました。「僕はネットに精通している、フジテレビがネット動画で戦っていくには僕が必要だ!」という風に。

 結局、「君がやってることは今の会社には必要ないから、今はまじめに働こう」的なことを言われて……。

 僕は200万円かけて、たくさん仲間を集めて、データをとってプレゼンして。そこまでしても会社の上司を説得するための戦略が響かない。

 これは、下積みがあと5年はかかっちゃうな、どんなにアピールしても決められた道のショートカットはできなさそうだなと。だったら自分でやったほうが良いと痛感しました。良い会社を辞めることよりも、20代で映像を作れない時間のほうがもったいない。

――同時期に、台湾でのアイドル活動を始められています。

三原:「台湾でアイドルになる」というのは、最初はYouTubeの企画の一環でした。だんだんファンが増えて3万人くらいになったとき、初めて台湾で無料のライブをしたら100人くらい来てくれて。

 友達とかではなくまったく知らない100人というのが嬉しかったし、テンションも上がって「ここが自分の居場所だ!」と感じました。

 会社では宅急便の伝票にサインを書く係だったのに、台湾ではキャーキャー言われながらサインをしている。この体験も辞めるきっかけのひとつですね。

三原慧悟

フジテレビでは宅急便の伝票にサインを書く係だった

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