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【ハムカツ太郎さんインタビュー】趣味の「昭和的居酒屋巡り」「ハムカツ巡り」が仕事につながった

コラム

大勢の人たちとワイワイやるのは性に合わないと思っていた

原さんの「昭和的居酒屋巡り」のことを知った、人ヅテの遠い知り合いが原さんにまず声をかけた。その人は、横浜・みなとみらいで「大人がBUKATSU(部活)を楽しむシェアスペース」『BUKATSUDO』を運営しており、原さんに意外なことをお願いしてきた。

「原さんが部長の『みなとみらい昭和文化研究部』っていうのを作って、人を集めてうちでなんかやりましょうよ」
前述の通り、原さん自身は「1人で飲み歩き」が趣味ではあるが、だからと言って、そこで誰かとコミュニケーションをとったり、大勢の人たちを集めてワイワイやるのは性に合わないと思っていた。しかし、その運営者の熱意に負けやむを得ずそれらしいことを始めるに至った。

最初は「人を集める力」も「何をやるべきかのビジョン」もいっさいなかったという原さんだが、とりあえず月に一度の「部活」の日、『BUKATSUDO』のスペースで「みなとみらい昭和文化研究部」という、それらしい看板を出し本当に仲の良い身内だけの「ただ酒を飲んで話をする」という活動を始めた。原さんはこう回想する。

「最初は身内だけだったのに、そのスペースを通りがかった人が『みなとみらい昭和文化研究部』の看板に惹かれスペースを覗いてくれるようになり、訪れた全然知らない人と酒を飲み、話をすることが少しずつ増えていきました。

さらに、こういった人たちが「みなとみらい昭和文化研究部は面白い」と、リピートして参加してくれるようになり、さらにその友達が来て、そしてまた友達の友達が来て……という感じで参加者の輪がどんどん広がっていきました。当初の自分では全く想像できなかったことです」(原さん)

『BUKATSUDO』ではキッチンスペースもあるので、原さんが造詣深い「ハムカツ」をみんなで作りながら飲むなど、「みなとみらい昭和文化研究部」は回を重ねるごとにカタチになり、その内容も濃いものになっていった。

50を過ぎて「人の繋がり」に恵まれ助けられていることを実感

この人力SNS・人力拡散とでも言うべき盛り上がりを受け、やがて原さんは「ハムカツの愛好家」として「ハムカツ太郎」を名乗りはじめ、各店のハムカツのレポートやハムカツの情報をブログなどで発信し始めたところ、多くのメディアが「原さんという面白い人がいる」ことを取り上げるようになった。さらに、酒にまつわるメーカーや飲食店も原さんの活動に協賛したり、コラボしたりするようになった。

当初は「自分1人の趣味」だったのが、「人と会う」ことによってどんどん広がっていったというわけである。原さんはこの頃のことをこう振り返る。

「半ばイヤイヤ始めた『部活』でしたが、こうやって振り返ってみると、本当に人の繋がりに恵まれ助けられたと思っています。50を過ぎてやっと気づいたことですが、『人の繋がり』は生活を豊かにしてくれると思いました」(原さん)

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