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家康も愛した街道一の贅沢なお菓子

江戸城

江戸城(皇居)富士見櫓

 きなこ餅のことを「あべかわ」と言う。この「あべかわ」は、徳川家康が隠居をした静岡市を流れる「安倍川」に由来している。安倍川上流には金山が多く分布していたのだが、徳川家康が安倍川上流の金山を訪れた際、黄色いきな粉をかけた餅を砂金に見立てて、「金な粉餅にてございます」と献上された。家康はこれを喜び、きな粉をかけた餅を「あべかわ餅」と名付けたのである

 ちなみに、醤油をつけて海苔を巻いた餅を「あべかわ」と呼ぶ地域もあるが、もともと「あべかわ」はきなこ餅のことである。あべかわ餅が有名になるのは、八代将軍・徳川吉宗の時代である。江戸時代、高級な輸入品である砂糖は、支払いに金銀が利用された。

 しかし、吉宗の頃になると日本の金銀が枯渇し、金銀の流出が問題になった。そこで吉宗は、国内でのサトウキビ栽培を奨励し、温暖な駿河国でもサトウキビの栽培が行われた。そして、サトウキビからとれる砂糖を、きな粉餅にかけるようになったのである。

 砂糖の国産化によって手に入りやすくなったとはいえ、やはり砂糖は珍しい高級品なので、あべかわ餅は「五文どりの名物の餅」(一個五文もする高価な餅)と呼ばれた。こうして、あべかわ餅は、街道一甘いお菓子として東海道の名物となるのである。もちろん徳川吉宗もあべかわ餅を好み、駿河国出身の家臣に江戸城であべかわ餅を作らせたと伝えられている。

<TEXT/植物学者 稲垣栄洋>

1968年静岡市生まれ。岡山大学大学院修了。専門は雑草生態学。農学博士。自称、みちくさ研究家。農林水産省、静岡県農林技術研究所などを経て、現在、静岡大学大学院教授。著書にベストセラーとなった『生きものの死にざま』(草思社)ほか、『大事なことは植物が教えてくれる』(マガジンハウス)、『面白くて眠れなくなる植物学』 (PHP文庫)、『はずれ者が進化を作る』、『雑草はなぜそこに生えているのか』(ともにちくまプリマー新書)など多数

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