理想は語るが実行力がない…職場の「高い理想さん」とうまく付き合う方法
行動が伴わないと馬脚を現してしまう現代
私たちは、そのような選択を重ね、成功し続けて生き延びた集団の末裔でもあります。ですから、大勢と同じ意見や行動に甘んじるのではなく、常に新しい提案をする人は、組織の中で今なお一目置かれる存在になるのです。
「幸福」とは、今より状態がよくなることや、これからよくなると思えることで喚起される感情です。「こっちに行けば獲物のマンモスがいるぞ」とか、「新天地に行けば今の危機状態から脱することができそうだ」などと誰かが前向きな発言をすることで、幸福な未来が想像されるので嬉しくなるわけです。
いわば、「意識の高い」人による勇気ある言動によって、明るい将来を想像し、希望を抱くことで人類は生き延び、発展してきたとも言えるのです。
ところが、狩猟・採集時代とは違って、現代ではそうした「意識の高い」提案だけではなく、実際の行動が伴わないと馬脚を現してしまうことになります。
実行を伴わないと嫌われる現代
複雑な現代社会で背景の異なる集団をまとめ上げ、現実的な課題を指摘し、それを実際に変革に向かわせることは、狩猟・採集時代と比べて格段に難易度が上がっています。つまり、「提案はしたが実現できない」可能性が高くなってしまうため、結果的に「語り」が「騙り(かたり)」になってしまうことも多いのです。
周囲からすれば、当初は幸福な感情を喚起させられていたために、「ハシゴを外された」と余計に腹立たしい気持ちになってしまうわけです。
また日本の場合、一度、組織の中で地位を獲得してしまうと、何か問題があったとしても責任の所在があいまいなため、めったに降格は起きません。だから、その場をあっと言わせるような提案をして、目先の期待を集めて地位を獲得することが有効になってしまうのです。
一方、アメリカの研究職の世界はシビアな競争社会です。予算はプロジェクトごとに短期間しか割り当てられておらず、研究してもっとも成果を出したプロジェクトに次の予算が集中的に与えられます。そのため、口先だけの企画倒れのプロジェクトはすぐに潰されていくのです。壮大な夢をただの理想論ではなく実現させるには、個人の努力だけではなく、報奨制度や競争社会の仕組みを適度に活用することが必要ということでしょう。