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東大卒ITベンチャー取締役が、ベルリン銀熊賞『偶然と想像』に携わった背景

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後輩の濱口監督が主演

偶然と想像

©2021 NEOPA / fictive

――映研時代には監督として映画を撮ったとのことでした。

高田:映研は1学年、だいたい10人ぐらいでゆるい雰囲気でしたが、必ず1人1本撮るという伝統がありました。

 遙か昔のことで記憶が薄れつつありますが、僕も映画を撮りました。1本目は失恋ものでした。2本目はミュージシャンの夢が破れて実家に帰るという話で、タイトルは『ささくれ』。主演は映研の後輩の濱口監督でした。当時は監督もスタッフも出演もみんなでしていました。

――当時は映画監督を志していたのでしょうか。

高田:映画に関わる仕事をできればいいなとは思っていましたが、サークルに入って映画作りをしていただけでプロになりたいとは考えていませんでした。映画でご飯を食べていけるのは、監督にしろ、スタッフにしろ、ほんのわずかな人だけということを聞いていたからです。

 当時はお金がなかったので家庭教師をはじめとして割のいいアルバイトをかなりやっていました。10は下らなかったと思います。

プログラマーとして出発

――新卒で映画業界以外のところに就職しますね。

高田:はい。いつまでもアルバイト生活をしているわけにはいかないので、とりあえずは稼がなければとIT系のソフトウェア開発会社にエンジニアとして就職しました。積極的に望んだのではなく、選択肢があまりなかったので。当時は情報に疎く、また就職に対して真面目ではなかったので、興味のある会社を3社回った程度で、1次で落ちて、ほったらかしにしていました。

 そして、気付いた時には大学4年の秋口になっており、大企業のエントリーは終わっていました。就職氷河期ということもあって、あの頃の秋の採用と言えば、IT系の会社ぐらいでした。

 IT系といえば今でこそもてはやされていますが、当時はそこまででもありません。むしろソフトウェアエンジニア職は時間はタイトで土日も帰れないというような、3K(きつい・汚い・危険)を連想させる肉体労働というイメージだったのですが、人手不足で大量採用していたんです。それで、エンジニアになりました。

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