H.I.S.を20代で辞めた僕が「ハウステンボス」で学んだ起業家の原点
沖杉:講義が終わるとレポート作成や学んだことの復習など、経営の勉強に専念しました。20代から40歳までと幅広い年代が集まったので、毎日のように議論を交わしていましたね。今でも良きライバルであり、仲間でもあります。
「座学」では、財務、キャッシュフロー、リスクマネジメント、資金調達などを学んでから、長崎のハウステンボスで実務経験を培うことができたのです。
――ハウステンボスではどのような経験を積みましたか。
沖杉:規模が最も大きな土産店を任されました。スタッフの9割が年上の女性のパートさんだったので、自分の考えを押し付けるのではなく、まず相手を知ってから、人間関係を深めようと考えました。
そのためスタッフから意見をもらって、一緒に作り上げるというスタンスで臨み、座学で学んだ「ランチェスター戦略」で成功しました。
ハウステンボス時代が新会社の種に
――「ランチェスター戦略」で何をしたのですか?
沖杉:まずこの店舗だけの強みである“オンリーワン”と、同じ商材でもとび抜けた“ナンバーワン”を見つけ出すことに努力しました。
まずオンリーワンですが、この店舗がハウステンボスの出口にあるため、お客様が必ず最後に通ることに着目して、“最後にお土産を買う店”というポジションを明確にしました。そのため、入場ゲートでクーポン付きのビラ配りをするなど、「最後にお土産を買いたい」というお客様の購買力を促すようなアピールしました。
またナンバーワンを獲得するために、修学旅行生に特化して、ハウステンボスらしいお土産の品数を最も多く揃え、スタッフの方々の協力のおかげで、売上を伸ばすこともできましたね。
――ハウステンボスで学んだことは、何ですか。
沖杉:経営が成功する秘訣は、人に尽きるということですね。澤田会長がかつて「辛い時こそ嘘でも明るく元気にやれ」と仰っていましたが、まさにその通りです。明るく笑顔でやっていると、本当に気持ちが明るくなるんです。「明るく、楽しく」が、仕事で最も大切なことだと思います。
――その後、すぐに起業したのですか。
沖杉:いえ、HTBエナジーという電力の小売販売事業の立ち上げ準備のプロジェクトに参加を希望して、そこで組織の作り方や契約書の作成テクニック、ゼロから1を学ぶことの楽しさを学びましたね。
その後、営業などを経験してから、澤田経営道場を2017年3月に卒業して、同年4月に「株式会社TODOKISUGI(トドキスギ)」を立ち上げたのです。
沖杉:ハウステンボスで経営の実習をしていたとき、休みになると、近隣の農家を訪ねて生産者の声を聞いていました。そのうちに農業に携わる生産者が抱える課題が明らかになり、「食の分野で事業を起こしたい」と志し、生産者と消費者を直接つなぐプラットフォームを作ろうと思いました。
私のこのビジネスの根底にあるのは、大学の時に、世界一周をした時のことです。「ギブミーマネー」と寄ってくる子供たちにお金をあげてもおざなりの笑顔ですが、日本から持ってきた味噌汁やお菓子をあげると、本当の笑顔になった。あの経験から、食で人を笑顔にしたくなったのです。
挫折から初心に戻り、新たなるチャレンジへ
――起業のビジネスモデルが明確になりましたね。
沖杉:ところが、実際に生産者と消費者を繋ごうとしてシステム開発を行ったのですが、コストの面だけでなく、経営の面でも問題が生じました。いきなり新しいことをやり始めたため、生産者も戸惑いが生じ、また消費者のニーズを優先してしまったため、生産者の思いが伝わりにくくなってしまったのです。
1年間試行錯誤を繰り返し、諦めかけていたときに「石の上にも三年」という澤田会長の言葉を思い出して、逃げずにへこたれずにやり続けようとしました。挫折してから社内を見渡して、会社の進むべき方向を見つめ直しましたね。
――TODOKISUGIはH.I.S.の社内ベンチャーという位置付けですか。
沖杉:私自身は社内ベンチャーとは思っていません。澤田経営道場に入塾した時から、卒業後は、H.I.S.の旅行事業以外のビジネスで、H.I.S.というグループに捉われずに、世界で活躍したいと志していました。今も思いは変わらず、世の中に本当に必要とされ、食で世界が笑顔になるような事業を目指しています。
――今後の目標を教えてください。
沖杉:短期目標として、まずは、利益を出し続けて、会社を黒字にすること。中期目標はグローバルなH.I.S.から独立して、事業を展開すること。そして長期の目標は、澤田会長のような経営者になることです。
澤田経営道場で学び、しっかりとDNAを受け継いだつもりです。日本だけでなく、世界中の人たちを笑顔にしていきたい。そのためには食というビジネスで貢献をしていきたい。世界にね。
<取材・文/夏目かをる 撮影/林紘輝(扶桑社)>