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「コロナ禍で収入ゼロだった」新卒フリーランスから地方で起業した24歳女性のモットー

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人との繋がりが仕事になる

しもズブ

リモート取材に応じる、藤井さん

――最終的には内定辞退をしてフリーランスの道を選んだのですね。

藤井:幼少期からスポーツに触れていたこともあって、もともとはスポーツトレーナーを目指していたのですが、そこからTwitter経由で、40人ほどのさまざまな職種の方々とお会いして、いろいろな価値観に触れました。大学4年の秋頃には、就職するのではなく、本当にやりたいことでフリーランスとしての道を行くことに決めました。

――フリーランスに成り立ての頃を振り返ってどうですか?

藤井:無報酬でもやりたいことってなんだろうと考えたときに、カメラマンとデザイナーという仕事にたどり着いたんですが、最初は仕事も、スキルもなくて、フリーランスというよりフリーターになった気分でした。大学時代のバイト先のお客さんに、私が卒業後はフリーランスになることを伝えたら、「じゃあちょっと手伝ってよ」と言われて、そこの会社のホームページを作ったのが最初の仕事でした。

――フリーランスとして働く上で、人との繋がりは大切だと思いますが、具体的にはどうやって人に会っていたんですか?

藤井:都内で開催されているイベントに参加しまくっていました。実は「女性無料」とかも多くて。なかには怪しい人もいましたが、今思えば、それが自分にとっての「営業」だったのかなと思います。大切にしているのは「やりたいようにやる!」「生きたいように生きる!」ということ。行きたいところに行って、会いたい人に会って。そういう環境をつくるためにもフリーランスで頑張っています。

コロナ禍で収入がゼロになったことも

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下田の海でサーフィンをすることも

――「フリーランスは仕事を取るのが大変」というイメージもありますが、実際、収入の変化はどうでしたか?

藤井:最初は結婚式のエンドロール撮影の仕事を毎週土日にやっていましたが、1回で1万円ちょっとの報酬になるので、それを基盤にして、営業活動とかしていました。ただ、緊急事態宣言が出た2020年4~5月は結婚式場の仕事やイベント撮影の仕事がなくなって、収入がいったんゼロになりました。

――それは大変でしたね。その後はどのように立て直したのですか?

藤井:それで昨年7月に静岡県下田市に移ることにしたんです。きっかけは、とあるオンラインイベントで、建設会社の方と知り合いになり、下田に2週間お試しで住んでみることになって、そこから今に至ります。地元の人から仕事をもらえたり、デザインスキルも上がったことで仕事も取りやすくなったりしたので、徐々に生活も落ち着いてきました。

――フリーランスというと収入が不安定なイメージもありますが。

藤井:月に20万円あれば、どこへでも行けると思うので、最低20万円は稼ごうと思っています。「地方の人」ならではの温かさがすごく好き。

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