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20代で借金50億円を抱え、開き直った。ばんからラーメン“独自の経営戦略”

ビジネス

「味噌ラーメンをビジネスにしたら特別背任罪」

 そう語る草野社長は、手元に残った180万円の資金でやりくりしながら、水面下でラーメン屋を再び始めるための下準備を進める。まず始めたのはラーメン材料の卸売業。ノウハウを持っていたので、麺やスープ、具材などを仕入れ、知人のお店をプロデュースする形で動いた。

「卸売業はあまりお金にならなかったのですが、一度会社を潰しているので、大々的にラーメン屋をやるって言えないんですよ(笑)。死んだふりをしなきゃいけなかったので、ひそかに打ち合わせしたり、次やるラーメン店のアイディアを考えたりしていました」

 会社更生法の申請を出した2週間後には、次の事業のために打ち合わせを入れたという。かたや、経営破綻に伴う対応にも追われ、表向きは会社経営から退きつつ、鳴りを潜めながら機会を伺っていた。

「債権者集会では事件屋を送り込まれました。一番印象に残っているのが、密かに打ち合わせしていることが管財人の耳に入ってしまい、東京地裁の裁判官に呼び出しを受けたこと。そこで言われたのが『味噌ラーメンをビジネスにしたら、特別背任罪で逮捕する』という言葉でした。私はこれを逆手にポジティブに捉えて、『だったらとんこつでやろう』と内心考えたんです(笑)。今振り返れば裁判官も“逃げ道”を作ってくれたんだと思いますね」

逆境をはねのけ、再びラーメン屋を始める

ばんから

とある印刷会社の会長に直談判し、池袋の4階建の一棟ビルを借りることができたとのこと。現在も1階はラーメン屋、4階は花研の本社として利用

 さまざまな逆境を物ともせず粛々と準備を進め、「あとはラーメン屋を出店するにふさわしい物件を探すのみ」となった頃、現在の「東京豚骨拉麺ばんから 池袋本店」がある一棟ビルのオーナーを、父親の知人から紹介してもらった。

 一時は絶望の淵に立たされた草野社長だが、50億円の借金を背負ってからわずか1年も経たないうちに、自分のラーメン店を出店して再スタートできたのだ。これは逆境力と信念の強さに他ならない。

「何も、恐れることはないんですよ。死ぬこと以外はかすり傷。100回くらいやって2、3回くらいが成功し、あとは大概失敗に終わる。つまり、早く行動して失敗するも成功するも、とにかく『やったもん勝ち』なんです」

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