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シソンヌじろう、芸人になったのは「世間の正当な判断を仰ぐため」

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世間の正当な判断を仰ぐため芸人に

甘いお酒

――佳子さんは芸人になる前からやっているとのことですが、じろうさんは、青森から関西の短期大学に入って、その後に東京NSC(吉本総合芸能学院)に入られています。一度、短大に入られたのは?

じろう:英語が好きで、英語関係の仕事をしたかったんです。それで外語大を受けていたんですけど、短大しか受からなくて、そこに入学しました。その短大時代に、初めて自分でお金を払って近鉄劇場でシティボーイズ(大竹まこと、きたろう、斉木しげるの3人で構成するコントユニット。1979年結成)を見て、憧れたんです。それで卒業後に、シティボーイズみたいなことをやりたいと思って東京に出ました。NSCに入ったのは26歳のときです。

――上京してから東京NSCに入るまでは?

じろう:ずっとインディーズというか、コント劇団をやっていました。自分たちで箱(劇場)を借りて、定期的にライブをやったりして。でも結局、友達しか観にこないんですよ。それで「俺、何やってんだろう」と。自分は面白いのかどうか、世間の正当な判断を仰がないとだめだと思って、よしもとに入ろうと決めました。面白かったら生き残れるだろうし、ダメだったら帰ろうと。そこからなんとなく続いた感じです。

――「30歳までに」といったことは意識されていましたか?

じろう:あの時は覚悟があったのかな。でも年齢的なことはあまり考えてなかったと思います。何かをやるのに、年齢は関係ない、始めるのは何歳でもいいと思っているので。

忘れられない餃子と白飯の味

シソンヌじろう

――当時、お金はどうしていたんですか?

じろう:バイトと仕送りです。NSCのときももらっていましたよ。パチンコで負けたときも、家に連絡して「ちょっと特別な授業があってかかるんだよね」みたいな嘘をついていました(苦笑)。とにかく金がなくてビンボーで。NSCを卒業してから、チョコプラ(チョコレートプラネット)の松尾(駿)とジャンポケ(ジャングルポケット)の太田(博久)と、あともう一人と4人で住んでたんです。

 そのときに、松尾が作家さんから餃子の王将の「お食事券1000円分」みたいな株主優待券をもらってきたんですよ。それで松尾と一緒に行って食べた白飯がうまくて、うまくて。「こんなに白飯と餃子ってうまいんだ!」って。下北沢の王将で、よく覚えてます、2012年くらいの話ですね。本当にお金がなかったんですけど、でも生きてる実感があって、すごくよく覚えてます。

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