今こそ求められる“強い大関”の復活を。具体的な2つの提言
2010年代の大関優勝はわずか8回
2010年代は大関の低迷ぶりが顕著である。皆勤してもケガなどの影響なのか、本来の力が発揮できず、8勝、9勝、負け越しで本場所を終える大関が“日常の姿”になってしまったのだ。
特に優勝に関しては、2017年初場所の稀勢の里(場所後、第72代横綱に推挙)以来、18場所にわたり現れていない。年6場所15日制になった1958年以降の大関優勝回数を年代別に調べてみたところ、下記のとおりである。
○ 1950年代(1958・1959年のみ):4回、優勝率3割3分3厘。
○ 1960年代:13回、優勝率2割1分6厘。
○ 1970年代:8回、優勝率1割3分3厘。
○ 1980年代:12回、優勝率2割ちょうど。
○ 1990年代:23回、優勝率3割8分3厘。
○ 2000年代:16回、優勝率2割6分7厘。
○ 2010年代:8回、優勝率1割3分3厘。
1970年代、2010年代は大関低迷期を表すかのごとく、ワースト1位タイの8回である。ただし、優勝を逃した年は前者4回に対し、後者は5回だ。2018年以降、大関の優勝がなく、このまま続いてしまうと、2020年でワースト1位タイの3年連続に並んでしまう。
加えて、2021年初場所まで大関の優勝がないと、こちらもワースト1位タイの「24場所連続、大関の優勝なし」となってしまう(この記録は1977年名古屋場所から1981年夏場所まで続いた)。
参考までに、1969年名古屋場所から1970年初場所まで、1994年夏場所から九州場所まで、大関4連覇という記録がある。1人大関となった貴景勝の奮起、「大関候補」と言われる力士の頑張りに期待したい。
関脇以下で大関経験者が4人も
私が注目しているのは、2019年名古屋場所から4場所連続で大関陥落力士が発生したほか、関脇以下で大関経験者が4人いることだ(注:貴景勝は陥落後、12勝3敗の好成績で大関復帰)。
このうち、照ノ富士はヒザのケガなどで休場が続き、序二段まで番付を下げた。
先場所後、関取復帰を果たし、今場所は13勝2敗で十両優勝。幕内復帰に向けて邁進し続けている。ケガがなければ、第72代か第73代の横綱に推挙され、第69代横綱白鵬が43回も優勝を重ねることはなかっただろう。
琴奨菊、栃ノ心、高安はケガの影響が大きい。高安は今場所10勝以上すれば大関に返り咲くことができたが、負け越してしまい来場所は平幕で相撲をとる。
大関陥落後も「大関」のプライドを捨ててまで相撲をとり続けるのは、「もう1度大関にあがりたい」「燃え尽きるまでとりたい」という想いがあるのだろう。思えば、大関在位1位タイの65場所を務めた千代大海と魁皇、平幕に下がっても取り続けた霧島、6代目小錦は、燃え尽きるまで土俵に立ち続けた。