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指原莉乃「HKT48卒業しても活躍できる」これだけの理由

暮らし

「アイドルおたく」だったからこその顧客目線

 ファンという顧客が何を考えているかを身をもって知っていた指原さん。やがて、上京してAKB48に入ることになりますが、真っ先に気づいたことがありました。

 大分ではそこそこカワイイと思っていたけれど、このメンバーの中では、ルックスも歌や踊りもまったく勝ち目がないということを悟ったのです。

 同じ土俵で戦っても勝ち目がない。これは土俵を変えなきゃダメだ。アイドルとして際立った武器がないところから、バラエティ要員として自分のキャラクターを打ち出していくことを決めたのです。

「ヘタレ」キャラから文章力で一点突破

 出演したバラエティ番組で、バンジージャンプを跳ぶ企画がありました。他の子は跳んだのに自分だけが跳べず、再度チャレンジ企画を設けてもらっても、跳べなかったというエピソードから「ヘタレ」といういじられキャラが定着します。

 その後、深夜番組などで「サシコ」という愛称で売れていくようになると、小学校の頃から掲示板などで培った文章力を生かしてブログを始めました。

 始めるとすぐ、それまで話したこともなかった、プロデューサーの秋元康さんから「おもしろい」とメールが来て、「どうせ書くなら1日100回更新を目指せ」というアドバイスをもらいます。

 指原さんは、そのアドバイスに素直に従います。あらかじめ番組で更新100回を目指すことを宣言し、翌日達成。すると、当日のアクセス数が3500万ページビューとなり、アメーバブログ(アメブロ)の歴代1位を獲得しました。その後も、1日200回更新を目指して達成。すると、9100万ページビュー、コメント数も81万件を超え、「24時間での個人ブログへの最多コメント」としてギネス世界記録に認定されました。

 指原さんは、秋元さんからの連絡で、ここが「誰もいない場所」だと気づき、そのアドバイスに素直に従い、それを深掘りすることで一点突破していったのです。

 その結果、同じように人気獲得にもがいていた若手メンバーたちから一歩抜け出すことに成功し、自らの名前がついた冠番組を持つまでになりました。

移籍をきっかけにさらにステージを上げる

指原莉乃

『クイック・ジャパン 103』

 2012年のAKB48選抜総選挙では4位と大躍進。上昇気流に乗るなか、最大のピンチが訪れます。過去の男性スキャンダルが週刊誌で報じられたのです。「恋愛禁止」を掲げるAKB48のメンバーにとっては致命傷になってもおかしくない事件でした。

 報道後、指原さんは秋元康さんとラジオ番組「オールナイトニッポン」に生出演し、涙ながらに謝罪。秋元さんから九州・博多のHKT48への移籍を言い渡されます。会社員で言えば、左遷ということでしょう。

 しかし、結果的にこれが指原さんのステージをさらに上げることになりました。当時、ローカルアイドル激戦区の博多で苦戦していたHKT48の知名度を一気に上げました。

 また、メンバーをまとめる統率力やMC力が抜きん出ていることが、東京時代よりも鮮明になります。さらに、ライブに斬新なアイデアをふんだんに入れるなど、卓越したプロデュース能力があることも判明したのです。

 指原さんはもともとアイドルおたくということから、ファンという顧客が何を考えているか熟知していました。そして自分という商品が、正統派のアイドルという土俵で勝負できないことを察知し、誰もいない場所を探してキャラを尖らせました。さらに、自分が評価されたところでは熱量を込めて集中的に深掘りして、一点突破をはたします。

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