【専門家が問題点を指摘】ジョブ型の危険性とは?「骨太の方針2023」でジョブ型定着を目指す岸田内閣
岸田内閣では6月中旬、「経済財政運営と改革の基本方針2023」(以下、「骨太の方針2023」)が閣議決定された。政府の経済財政政策の基本方針をまとめたものであるが、中でも「個々の企業の実態に応じた職務給の導入」という、いわゆる“ジョブ型”を日本企業でも定着させようという強い意志を感じる。
欧米で主流の働き方であるジョブ型を日本に導入させようかという分岐点を迎えており、現役世代、とりわけ20~30代の若い世代の今後の働き方を左右する内容と言って良い。「骨太の方針2023」が示す働き方は私達の未来を明るくするのだろうか。『コロナショック・ドクトリン』(論創社)の著者で、立命館大学教授の松尾匡氏に話を聞いた。
メンバーシップ型の問題点
始めにメンバーシップ型とジョブ型、“2つの働き方”について解説する。松尾氏は「営業や経理などといった業務内容に縛られず、いわゆる“社員”として採用され、必要に応じて柔軟に仕事に就く働き方を“メンバーシップ型”と言います。日本企業は基本的にメンバーシップ型です。それに対して、仕事の種類や内容によって雇用され、それぞれに応じた処遇を受ける働き方を“ジョブ型”と言います」と話す。
「メンバーシップ型の場合、会社の都合で勝手にクビにされない、というメリットがあります。しかし、若い時期には給料が低く、年配になってはじめて“モト”が取れるようになります。
とはいえ、平成以降は不況によって正社員でも会社の都合で事実上クビにされることが珍しくない。加えて、大きな会社でも倒産して職を失い、若い時に頑張ったモトが取れない人も出現しました。また、今まで正社員がやっていた業務を非正規社員が担うケースが増え、同じ業務を担当しているにもかかわらず給料が違う、という雇用形態間の待遇格差が顕在化しています」
派遣社員はジョブ型?
次にジョブ型について説明する。
「ジョブ型は事前に決められた業務を全うする働き方のため、ある意味会社に縛られなくて良い。とはいえ、日本企業にとっての典型的なジョブ型の例として、派遣社員、実態は雇用なのに形態は個人事業者扱い、などのケースが多いです。いつでも簡単にクビにすることが可能で、昇給ナシという悲惨な待遇で働かされやすい。仮にジョブ型が定着した場合、正社員として働くことが難しくなるかもしれません。
また、業務内容が具体的に決まっており、成果や失敗の範囲が明確な場合は成果に応じた報酬をもらえます。モチベーションも上がりますし、会社側としても賃金の無駄払いを減らすことが可能です。とはいえ、成果や失敗の範囲がメンバーシップ型の組織は不明確なケースが多く、中途半端にジョブ型を導入されると、正当に評価されない不満や、責任の押し付け合いが生まれかねません」
ジョブ型の危険性
メンバーシップ型とジョブ型、どちらも一長一短と言える。「骨太の方針2023」内ではジョブ型の導入に前向きな姿勢を見せていたが、ジョブ型とIT社会は悪い意味で相性が良いそうだ。
「今後人工知能やロボットなどの技術が発展すると、今まで待遇が良かった種類の仕事でも、“やがて自動化されて不要になる”ということが頻発します。終身雇用や年功序列といった利点のあるメンバーシップ型からジョブ型にシフトした場合、確かに会社に縛られることは減るでしょう。裏を返せば、会社が守ってくれなくなります。
新技術が登場する度にクビになる人が増えかねません。そしてジョブ型の市場では、そのほとんどが仮に正社員であってもスキルアップも昇給も望めない、不安定な低賃金労働を余儀なくされることが懸念されます。そもそも、不況が長引けば、失業したままになってしまう可能性も低くありません」
ジョブ型は一件華やかな働き方のように感じるが、ジョブ型を定着させようとする機運は、一度立ち止まって考え直す必要があるのではないか。
総需要の不足が日本経済停滞の原因
そもそも、今回の「骨太の方針2023」は日本経済が上向くための適切なビジョンが記されていたのか。松尾氏は「日本の長期経済停滞の原因は総需要の不足です。にもかかわらず、その原因を『企業や労働者の生産性の低さ』と捉える“生産性停滞原因説”に据えています。『生産性の低い分野を淘汰して、生産性の高い分野に労働資源を動かせば経済成長する』という誤った処方箋を描いていました」という。
「総需要の不足とは、個人消費や設備投資や政府支出などが冷え込んでいる状況を指します。雇用が不安定で、給料も上がらない、さらには所得に占める税金や社会保障費の割合を指す“国民負担率”は約50%。これでは個人消費が伸びないのは当然です。設備投資に関してもデフレ下では企業はお金を使いません。この総需要の不足を解消する施策が講じられれば、貧困や少子化といった喫緊の課題は解決できます。
一応、『骨太の方針2023』内の『第1章 マクロ経済運営の基本的考え方』の部分で、“デフレ脱却を目指す”と謳っており、『総需要拡大政策も手を抜かない』とは記されています。しかし、デフレの原因である総需要の不足に対する適切な政策は掲げられていません」
適切な施策を講じない理由
なぜ政府は適切な対策を取る気がないのか。松尾氏は「経済成長と財政健全化(プライマリーバランスの黒字化)の両立を図ろうとしていることが問題です」と回答。
「財政健全化はいわゆる“政府の借金をなくす”ことです。つまりは財政支出を減らしたり増税したりといったアクションがとられがち。しかし、それらの政策は直接総需要を減らすだけでなく、個人消費や設備投資をより一層敬遠させるため、ますます総需要の減少につながります」
そうであるならば財政健全化にこだわる必要は今現在無さそうに思える。これには「『骨太方針2021』には“プライマリーバランスの2025年度黒字化目標”が明記されており、その撤回が『骨太方針2023』には書かれておらず、かえって『2021』に『基づき』とされている。そのため、この目標は今なお維持されていることになります」と答える。
「今後もプライマリーバランス黒字化を実現しようとした場合、総需要拡大どころではありません。さらなる増税、社会保険料などの値上がり、公共投資の減少に伴って老朽化したインフラと隣り合わせの生活を送らざるを得ないなど、日常生活を送ることが困難になります」
適切な処方箋は
私達がより良い働き方を実現するためには、どういったことが必要になってくるのか。松尾氏は「現在の労働組合は終身雇用や年功序列制度のある正社員を前提とした企業別のものになっています。ジョブ型が一般化された場合に生じかねない、先述したような事態には対応できず、労働者の待遇や権利を守ることは難しい。企業の枠を超えた新たな形態の労働組合運動を組織できれば、交渉も有利に運ぶでしょう」と提案。
「また、総需要が拡大すれば、市場の購買意欲が高まり、適切な人手不足が起きます。そうなれば仮に会社をクビになっても次の職がすぐ見つかり、さらには特別な技能がなくても賃金が上がりやすくなるでしょう。
そのためにもまずは政府がお金を注ぎ込み、税金や社会保険料などの減額を実施して総需要を拡大することが必要不可欠です。政府が総需要の拡大に乗り出すように私達国民はその動向を注視しなければいけません」
「骨太の方針2023」は私達の未来を明るく照らす羅針盤とは言い難い。政府が誤った方向に進むことを阻止することは私達国民の役割である。政府が間違っている時こそ声を上げていきたい。
<取材・文/望月悠木>