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「中卒、17歳、借金3000万円」だった私が20代で年収5000万円になれた理由

ビジネス

 現在、20代にして年収は5000万円超え、財界の有力者たちや、歌舞伎役者などの華麗な人脈を持つ、コンテンツプロデューサーの栄藤仁美さん。

 祖父母は関西の老舗受験校の創立者で、京都で7代続く老舗お茶屋の跡取りとして生まれ、華麗なる血筋を持つ。幼少期から実家を訪れる政財界、芸能界の大物と交流。

栄藤仁美

「ミスiD2017 安藤美冬賞」を受賞した、栄藤仁美さん

 幼少期から舞妓になるべく厳しい修行を続けるも一転、中学卒業と同時に、勘当同然でクビになってしまう……。そんな過去を持っています。

 本連載では、16歳でゼロからの再スタートを切りながら、若くして成功している彼女が、これまでの生い立ちを初めて語り、成功に至るための秘訣を学びます。

7代続く京都のお茶屋に生まれた私

 京都の舞妓に対して、どのようなイメージをお持ちでしょうか? キレイな振り袖を着てだらりと長い帯を締め、白塗りの厚化粧、結った髪にかんざしを挿す。そんな舞妓さんを、京都の街で、またはメディアで見かけたことがあるかもしれません。

 実は、舞妓さんのお仕事って、アイドルに似ているんです。朝起きてから寝るまでずっと、常に舞妓でいることが仕事。

 稽古中も、お客様とお出かけするときも、ただ外を歩いているときでも常に見られていて、急に写真を撮られたりすることもあって。

 年中舞妓さんの写真を撮り続けてる方もいるくらい、いつどこであっても“京都の舞妓さん”のイメージを崩さないよう、身だしなみにも気を配る、なかなか大変な仕事です。

 私は7代続く京都のお茶屋に生まれたので、その舞妓さんになるべく、3歳から日本舞踊のお稽古をして、修行中の子や現役の舞妓さんたちと一緒に生活をしていました。

お稽古で忙しいし、友だちもいない

舞妓

photo by Farang

 母は史上最年少でお茶屋の女将になった、優秀な人でした。自分がなんでもできるので、私に対しても礼儀から稽古まで「なんでもできて当たり前」という教育方針。

 家に訪れるエグゼクティブな母のお客さんたちに対する挨拶や応対など、小さいころから徹底的に仕込まれていました。ちょっとうまくいかないと「そんなんじゃだめだ」「ブスだ」って言われ続けたので、今でもコンプレックスの塊です

 そんな環境で育ったので、辛い毎日だけど中学卒業と同時に、舞妓さんになるんだと定められた運命に向かって日々過ごしていた。なのに、ある日突然、母にその道を絶たれ、人間不信になってしまいました。

 でも、ただ引きこもってしまうのも悔しいし、なんとか見返したてやりたいと思って、就職しました。やり直すためには、なにかひとつでも自分ができることがあるって実感しないと厳しいと思ったんです。

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