「失敗する若者、変われない若者」の欠点。昭和40年代生まれの2人が憤慨
何で自分は幸せと感じられるのか
池田:幸せというのは感性で語られるものではなくて、実に論理的なものだと思っています。自分が幸せと感じる要素を分解しそれが構造化されているからこそ、自分が今どれだけ満たされているかということが解釈できるわけですから。逆にその要素が構造化されていない人(なんとなく幸せと感じている人)の幸せって脆いんですよ。だから何かひとつでも要素が欠けてしまっただけで、「もう俺の人生はおしまいだ!」となってしまう。
だから僕は、今自分は幸せなのか、何にモヤモヤしているのか、やりたいこと、やれないこと、じゃあどうするのか、といったことを「書く」んです。そうしないと何も変わらない。でも自分の思いを書こうとしても最初はびっくりするくらい何も書けません。でも頭の中には霧がかかっている状態です。
何を書いたらいいんだろう。何が何だかわからない。なぜか。これかな、あれかな。アイツむかつく、これは嫌い。これはやりたくない。これは楽しい。これは大切、でも金がない。じゃあどうしよう。そうやってどんどん繋げていくしかないと思います。何でもかんでも、みんなインスタントに答えを見つけようとしすぎなのではと。
「俯瞰力」が仕事の結果につながる
伊藤:「すごい」「ヤバい」と声に出して言うのは、自分の意思を明確にするラベリングですよね。さらにしゃべることによって自分の中にあるモヤモヤが浮かんでくる。そして、書くことによってモヤモヤの先が見えてくるんです。これをできる人というのは、つまり俯瞰力があるということ。この俯瞰力を持っていると仕事においても結果を残せるし、物事を上空から見られるようになることが社会人として大事な「能力」だと思っています。
池田:大きな決断から小さな決断まで、無限にある決断の行き着く先が人生じゃないですか。今の若い子たちは、失敗するのが怖いとか、正解を見つけたいとか、できる限り最短でやりたいとか、そういう思いから慎重に決断を下す傾向があるように思います。そして、「どちらを選んだか」という選択によって成否が決まると思っているから、失敗をしたときに選択を間違えたと考える。でも、そんなことあるわけない。
伊藤:私も数えきれない決断を下してきましたが、上手くいったことよりも失敗したことのほうが多いです。