京都人の「お茶漬け=帰れ」は本当なのか?創業110年超の老舗お茶漬け店に聞く
京都人の特性が裏目に出たのかも
しかしなぜ、謙遜や好意的な引き止めであったこの言い回しが、物事をオブラートに包んで伝える京都人の嫌味な面として広まってしまったのだろう。
「上方落語の大家で、人間国宝でもあられた桂米朝さんが得意としていた古典落語の演目『京の茶漬け』から、世に広まったと言われています」
当該の演目は、大阪の商人が京都のある家を訪れて帰る際、家主の妻に「ぶぶ漬けでもどうです?」と声をかけられたので待っていたが、いっこうに出てこない。謙遜の挨拶を真に受けて待っているのは無粋だと揶揄する構成になっている。
時代を席巻した桂米朝が十八番としたこのネタの影響で、誤解が広まったようだ。確かに京都人は、「はっきりと物事を言わない特性がある」と秋道氏。その理由についても聞いた。
「小さな盆地の中で、敵を作らないように生きていくためです。いったん仲違いをすると、孫の代まで続くといわれるからだと思います。『考えておきまっさ』『結構ですなあ』というような言い回しがよく使われるのも、その文化をよく表しています」
漬物文化が浸透しているからこそ…
では、京都の人にとってお茶漬けはどんな存在なのか。まず、その始まりについて秋道氏に聞いた。
「京都では昔、1日に1回お昼にご飯を炊く習慣がありました。当時は保温ジャーなどありませんので、翌朝にはご飯は冷たくなってしまいますよね。それを、なるべく温かく食べたいというところから始まったようです」
さらに、今でも京都の街には漬物店が多く軒を連ねていることも、お茶漬けの文化に遠からぬ関係があるという。
「京都には地産の京野菜が多くあります。今のように冷蔵庫のない時代は野菜の保存方法として、漬物にする文化が発達してきたようです。京都ではどの家庭にも自慢の漬物があって、さらに、当時は食卓に3~4種類の漬物を並べておくのが一般的であったため、足りない分を専門店で購入して出していたほど。現代でも、1~2種類の漬物を漬けていらっしゃる家庭も多くありますよ。この漬物にも相性が良いお茶漬けが、一緒に食べられて発展して来たわけです」