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エンジニアからプロ棋士へ――どん底から将棋界を変えた男の奇跡

暮らし

――では、松田さんからもいろいろと相談されていたのですか?

瀬川:相手を知りすぎるとそれに縛られてしまうと思われたようで、たくさん話したのは、撮影が終わってから。映画の話もしましたが、どちらかというと結構くだらない話ばっかりでした(笑)。でも、相当な覚悟でやってくれていたんだなということがそのときにわかり、僕の半生をしっかりと演じてくださったのだと感じましたね。

どん底を切り抜けた方法とは?

瀬川晶司

「プロを目指していた12年間が全部無駄になってしまったな、と」(瀬川)

――瀬川さんは、「満26歳までに四段に昇段できなければ退会」という奨励会の年齢制限のため26歳でプロへの道が閉ざされますが、そのときの心境は?

瀬川:将棋をやめた瞬間はゼロというか、プロを目指していた12年間が全部無駄になってしまったなという思いから、「生きていてもしょうがない」くらいに思い詰めていました。

 反動で1年くらいニートみたいになっていましたが、やっぱりなにかやらないといけないと思ったので、まずは夜間の大学に入ったんです。その後、バイトも始めましたが、とりあえず毎日やることがあると、心の隙間が埋まっていく感覚はありましたね。バイト先で必要とされたときのちょっとした喜びも重なって、徐々に元気になっていきました。

――つらい状況から、いい方向に持っていくために意識していたことはありますか?

瀬川:意識的にしていたかどうかはわかりませんが、とにかく忙しくすることですね。どうしても、奨励会時代のことを後悔したり、この先まっくらだとかネガティブなことばかりを考えたりしまっていたので。何かをやっていれば、新しい目標も見つかりやすいと思って過ごしていました。

――その後、サラリーマンとして就職しますが、将棋への思いもあるなか、仕事へのモチベーションはどのようにして保っていましたか? 

瀬川:そのときは将棋への未練というのはなく、アマチュアとしてやっていければいいなと思っていたので、小さいころから夢見た仕事ではありませんでしたが、楽しんでできました。ちょうどインターネットが普及し始めたときで、IT系のこともやってみたかったのでワクワクした気持ちでしたね。

瀬川晶司

「実はIT系のこともやってみたかった」(瀬川)

――システムエンジニアとして働かれていたそうですが、その経験が将棋に活かされることもありますか?

瀬川:それはあんまりなかったですね。むしろ将棋の経験がエンジニアに活きた部分はありました。というのも、プログラミングしているときは先のことを考えないといけないのですが、将棋も先を読むゲームなので、そういう部分で似ているなと思います。

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