新大河ドラマの主人公「紫式部」の代表作『源氏物語』の意外な真実
知識人ではなく、趣味人だった貴族たち
しかし、文化が花開いたからといって、平安貴族たちが、誰しも知的好奇心から学問を深める「知識人」であったかというと、そんなことはありません。本来、エリート層とは、その地位を守りつつ、よりよい地位を得るために、必死に勉強するものです。しかし、平安時代の貴族社会は、世襲制なので、親から官職を受け継ぐのが当たり前。生まれたときから、身分や地位が決まっていました。
また、当時の貴族たちの主な仕事は、儀式を行うことです。儀式で重要なのは、いかに昔から伝わってきた正しい手順を、間違えずに正確に再現できるか、でした。「以前と同じことを上手に繰り返すこと」が重要とされたので、新しいことにチャレンジしたり、新たに自分なりの工夫を付け加えたりするのはタブーでした。
つまり、知的な学問を突き詰めても活用する場がないわけです。平安時代の貴族たちは決して頭が悪かったわけではないのでしょうが、「勉強したって何の意味もないよね」と思っていたのかもしれません。その結果、彼らは「知力を高めよう」とするよりは、和歌を詠んだり楽器を弾いたりする「趣味の道」を究めていきました。
自由恋愛ブームで生まれた国文学
戦がなく、外圧もない。武力というものにあまりが重きを置かれなかった平安時は、女性的な文化が好まれました。その結果、多くの女流文学が生まれますが、なかでも主題となったのが恋愛です。
和歌を見ても、ほとんどの作品のテーマは恋愛についてです。政治や経済などのいわゆる男性的な題材は、ほぼ主題として扱われていません。これほどまでに恋愛が文化の要となったのは、平安時代の日本が、かなり恋愛に奔放な国だったからでしょう。
日本の恋愛に対するおおらかさを表すのが、「後宮」の在り方です。後宮とは、皇帝や王様といったその時代の偉い人が、自分の子孫を作るために、多くの妻を持ち、囲っていた場所のことです。
中国の場合は、後宮は非常に管理が厳密で、皇帝以外の男性は誰一人入ることができませんでした。万が一、男性が後宮で働く場合は、去勢して宦官になるしかありません。これは、皇帝が「自分以外の血が入ることをよしとしなかった」からです。