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草食系?戦国武将はなぜ「玄米と味噌中心の食事」で戦い続けられたのか

暮らし

戦国武士の戦に備えた1日3食

おにぎり

「1日3食、しっかり食べなさい」とよく言われる。しかし、先に紹介したように、昔は朝食と夕食の1日2食であった。日本人が3食食べるようになったのは、江戸時代の元禄期(1688~1704年)くらいからであると言われている。行燈や提灯などの灯りが普及すると、人々は遅くまで起きているようになった。すると、夕食が遅くなり、夕食までの間に昼食を摂るようになったのである

 1日3食食べるようになったのは、労働時間が長くなった農民や大工などの肉体労働者で、遅い時間に出勤できる武士は幕末近くまで2食であったとされている。ところが、戦国時代の武士たちも、1日3食食べることがあった。それは戦場において、である。とはいえ、戦場で調理に費やせる時間は限られている。兵士の動きが活発になる昼間に調理するわけにもいかないので、早朝、朝食と夕食分の米を素早く調理する。

 いつ食べるかに関してだが、戦いはいつ始まるかわからない。昼食は食べたとしても、ゆっくり摂っている暇はない。夕食は朝、調理した飯を食べる。日が暮れれば休むしかないが、戦国時代には夜襲も起こるため夜もゆっくりしていられない。そこで、いつでも戦えるように眠る前に夜食を摂るのである。まさに「腹が減っては戦ができぬ」の諺(ことわざ)どおり、戦国武士たちは戦に備えて1日3食を食べていたのである

忍者が使ったゴマの兵糧食

 忍者が使った兵糧食に、「静神丸」と呼ばれるものがある。これはゴマをすりつぶして、蜂蜜で固めたものである。

 ゴマは現在でも健康食品だが、昔から薬効のある植物とされてきた。日本最古の医術書である『医心方』には、ゴマの効能について、「体力が低下したときの治療食」「五臓の疲れを癒して気力を増す」「脳や神経の組織を強固にして、筋肉と骨格を丈夫にする」などさまざまなことが記されている。

 戦国時代に下剋上で美濃一国の主となり「マムシの道三」と恐れられた斎藤道三は、もともとゴマの油を売る油売りだったという説がある。斎藤道三が明晰な頭脳で出世の道をのし上がっていけたのは、もしかするとゴマの効能があったのかもしれない。

<TEXT/植物学者 稲垣栄洋>

1968年静岡市生まれ。岡山大学大学院修了。専門は雑草生態学。農学博士。自称、みちくさ研究家。農林水産省、静岡県農林技術研究所などを経て、現在、静岡大学大学院教授。著書にベストセラーとなった『生きものの死にざま』(草思社)ほか、『大事なことは植物が教えてくれる』(マガジンハウス)、『面白くて眠れなくなる植物学』 (PHP文庫)、『はずれ者が進化を作る』、『雑草はなぜそこに生えているのか』(ともにちくまプリマー新書)など多数

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