貧しい救荒食だった「江戸の蕎麦」が“粋なグルメ”になれたワケ
関東の濃口醤油と関西の淡口醤油
関東に比べ古くからの文化の蓄積がある関西では、あらゆる産物の品質が良いため、さまざまな製品が関西から江戸に送られていた。そこで、上方からくるものは「下りもの」と言われ重宝された。一方、関東で作られた品質の悪いものは「下らないもの」と評された。現代でもつまらないものを「くだらない」というのは、この言葉に由来する。
醤油もまた、上方からの「下り醤油」が珍重されたが、値段が高く、とても庶民の口に入るものではなかった。この頃、関東に送られていたのは大豆だけで作られたたまり醤油に近いものだったと考えられている。一方、やせた火山灰土壌が台地を形成している関東平野では田んぼが少なく、畑を利用して小麦がたくさん作られた。そのため、豊富な小麦を大豆に加えてコクを増した「地廻り醤油」と呼ばれるものが作られた。これがのちの濃口醤油である。
関東でとれる魚は、青魚や赤身の魚など臭みのある魚が多い。江戸前の魚に、香りの強い濃口醤油はまさにぴったりだった。やせた土地で栽培される野菜の味もけっして良いとは言えなかったし、冬場は保存して味の落ちた野菜を食べなければならない。味の濃い醤油はそんな野菜を食べるのに適していたのである。
関西では近くの瀬戸内海であっさりした旨味の白身の魚が豊富にとれる。また、気候が温暖で土壌が肥沃なため、質の良い野菜が1年を通して豊富に生産された。関西であっさりとした淡口醤油が発達したのは、素材の味の良さを生かすためだった。
江戸の蕎麦はどうやって人気を得たか
話を蕎麦に戻そう。関東で作られた香りの強い濃口醤油と鰹節から作られた濃厚なつゆは、味気ない蕎麦を何とも旨いものに仕立て上げた。つゆが濃いので、蕎麦をちょっとだけつゆにつけて一気にすすり込む。蕎麦の味ではなく、のどごしと口から鼻に抜ける蕎麦とつゆの風味を楽しむ。この盛り蕎麦のスタイルが粋だと江戸っ子に受けて、救荒食であった蕎麦は人気のグルメメニューにのし上がった。
ちなみに淡口醤油の関西では、蕎麦よりうどんが好まれる。関西では、瀬戸内の温暖で雨の少ない気候が小麦栽培に適していたので、品質の良い小麦が作られた。そのため、香りが良い上質なうどんが作られ、うどんの麺そのものの味を競うようになった。
素材の風味を生かす淡口醤油はうどんにぴったりだったはずである。さらに関東が鰹節で出汁をとったのに対し、関西では淡口醤油をベースとしたつゆに、当時、北海道から北前船で関西に運ばれていた昆布出汁を加えて、まったりした味に仕上げられた。そして、吸い物のように飲み干せるうどんのつゆができあがったのである。
<TEXT/植物学者 稲垣栄洋>