園子温監督の“性加害”疑惑報道、謝罪文が公開されてもモヤモヤする理由
“世界の黒澤”も暴君のような監督
決して擁護するわけでもないし、地位を利用して性行為を強要することなど、許されることではない。若い世代にとっては、コンプライアンスに関して、逆に極度なほどに敏感になっていることもあって、理解できない部分もあるかもしれない。しかし、昭和、平成を通過してきた業界人だからこその、自然に受け継がれてしまった悪しき風習や概念が存在しているのも事実。
例えば黒澤明だ。“世界の黒澤”も暴君のような監督である。『蜘蛛巣城』(1957)のクライマックスで、本物の弓矢が三船敏郎に向けられて射られたのは有名な話だが、現代では完全にアウトな演出だろう。
他にも1951年に違法化されたヒロポン(覚せい剤)が60年代前半まで撮影現場で配られていたり、アウトローが当然のように撮影所を出入りしていた時代もあるようだ。
業界が抱えている膿を出しきるべき
過去の武勇伝を現代に置き換えると、完全にアウトなことは山ほどある中で、枕営業は甘く見られているのではないだろうか(ドラッグについてもそうかもしれない)。芸能界だけに限ったことではないかもしれないが、ある一定以上の財力や権力を手にした人間腐敗の象徴のようだ。
次々に出てくる暴露はショッキングではあるし、隠れた被害者が次々に出てくるカオスな状態になってしまうかもしれない。だが、この機会に、業界が抱えている膿を出しきるべきなのだろう。
今回だけに限らず、作品自体には罪はなく、多くの関係者やスタッフが関わっているのだから、誰かひとりのスキャンダルで、作品の公開や流通を停止させることへの是非は常に問われている。しかし、ここまで業界全体に根深い闇があるとなれば、抑止という点においても、ひとりひとりが責任感をもって行動することが必要なのだと思うようになった。