“仕事の時もスニーカー”はもう当たり前。アディダスが狙う、次のトレンド | bizSPA!フレッシュ

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“仕事の時もスニーカー”はもう当たり前。アディダスが狙う、次のトレンド

ビジネス

 とどまるところを知らないスニーカーブーム。カジュアルからセミフォーマルまで幅広く履きこなすことができるスニーカー。コロナ禍でビジネスファッションの脱フォーマル、カジュアル化が進み、日常使いできる定番のファッションアイテムとして注目されている

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アディダスジャパン株式会社 ブランドコミュニケーションシニアマネージャーの古谷佳祐氏

 そんななか、数々の名作スニーカーを輩出し、ブームを牽引してきたブランドのひとつが「adidas(アディダス)」だ。「スーパースター」や「スタンスミス」などの往年モデルは老若男女問わず広く支持され、長年にわたって愛されている。

 アディダスジャパン株式会社 ブランドコミュニケーションシニアマネージャーの古谷佳祐氏に、同社のスニーカーが長年ヒットし続ける理由や今後の展望について話を聞いた。

カルチャーと共に歩んできた企業文化

 古谷氏は、音楽雑誌編集から広告制作会社を経て、飲料メーカーでのマーケティングを担当した経歴を持つ。

「アディダスジャパンでは『adidas Originals(アディダス オリジナルス)』というカテゴリーを担当しているんですが、普及の名作スニーカーと称される『スーパースター』や『スタンスミス』は、ストリートやアーティスト、ファッションなどさまざまなカルチャーとの結びつきなくしては語れない。まさにカルチャーと共に歩んできたからこそ、今日まで多くの人に愛用されるようになったんですね」

 1969年にバスケットボール用のシューズとして開発されたスーパースター。当時主流だったキャンバス生地(厚手の粗布)ではなく、レザー素材を使った画期的なコートシューズとして発売したところ、NBAで活躍するプロバスケットボール選手の多くに愛用されるシューズとなった。

「スーパースターの特徴である『オールレザー』や『軽快な履き心地』は、当時のバスケットボール選手の間で話題になり、“スリーストライプス(3本線)”としてのブランドが確立されるきっかけとなりました」

スーパースターの認知度を高めたRUN DMC

 そして1980年代に入ると、バスケットボール界からヒップホップカルチャーへ、そのブームが飛び火するようになる。その火付け役と言えば、80年代を代表するニューヨークのヒップホップアーティスト「RUN-DMC (ラン ディー エム シー)」だ。

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ヒップホップシーンの草分け的存在であるRUN-DMC。その足元にはアディダスのスーパースターがいつもあった ©Lawrence Watson / adidas Archive


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 この頃はニューヨーク発のラップやブレイクダンス、DJ、グラフィティといったヒップホップカルチャーが台頭し始めていた。1983年公開の映画『ワイルドスタイル』では、アディダスのトラックスーツやスニーカーを身に付ける“B-BOY”の存在が注目を集め、ストリートシーンにおいて“王道ファッション”としての地位を築いていった。

80年代は、スポーツブランドをストリートのファッションに取り入れる動きが活発になった時期でした。そういった状況下のなかでRUN-DMCはアディダスのトラックスーツに、スーパースターを“紐なし”で履きこなすという大胆かつ斬新的なスタイルで話題を創ったんです。

 このスタイルがRUN-DMCの象徴的なものとなり、ファンたちの間でシューレースなしの履き方が流行しました。ちなみにRUN-DMCはアディダスにかなり愛着を抱いていたようで、『My Adidas』という楽曲も作ってしまうほどでした。その後、正式にアディダスはRUN-DMCとスポンサー契約を結ぶことになりました

 1990年代にはスケートボード界にもスーパースター愛用者が増え、まさにスポーツからヒップホップ、スケートボード、音楽などさまざまなカルチャーとの結びつきを深めていったわけだ。

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