28歳女性、就活をやめて被災地で「銭湯と朝ご飯屋」を開いた理由
移住に大反対を食らう毎日
そうは言っても事は簡単ではない。大学4年生になって、その決意を周囲に話すが、誰も賛成してくれない。ほとんど全員に反対され、最も尊敬していた母親にまで「いま行ってもあなたには何もできない」と、反対されてしまう。
震災直後で現場も混乱している、さらに娘を思う母の気持ちを考えれば当然の一言かもしれない。しかし、重くのしかかった言葉を彼女はあえて聞かなかった。
「正直、母親に反対されたことは辛かったですけど、迷いはなかったです。それは、ある方の言葉に救われたからです」
それは、のちに一緒に団体を立ち上げる「一般社団法人まるオフィス」代表理事・加藤拓馬さん(31歳)の「大人はみんな正しいかどうかを問うが最終的には自分の人生。その判断は『正しいか正しくないかではなく楽しいか楽しくないか』だ」という言葉だ。
彼女は「自分の人生って自分で責任を取らないといけない。そう思うと、今日を全力でチャレンジしていったほうがいいと思いました。今も全くこの決断を後悔していません」と断言する。
ローカル暮らしの楽しいところ
移住当初は仕事がなく、漁師のもとを体当たりで訪れ、伝票処理などのお手伝いをしていたという根岸さん。しかし今ではすっかり街の顔としていろいろなところで活躍している。
「毎朝4時30分に起きてお店の仕込みをするのが、チョー楽しみなんです。今日は誰が来るかなーって。だって好きな漁師さんが毎日向こうからやってきてくれるんですよ。毎日恋している感じで最高です(笑)」
冒頭で紹介した漁師のための銭湯と朝ご飯屋だけでなく、水産業の担い手をマッチングするの仕事や移住促進事業のスタッフなど彼女の役割は多岐にわたっていて、街にとってその存在は決して小さくない。
「都会ではどこか自分の存在がちっぽけに思うことが多かったんです。でも、気仙沼に来て、自分が必要とされることが増えて、自分の存在意義(介在価値)をじかに感じられるようになりました。
私は“まちとの関わりシロ”と呼んでいるんですが、それをいかに作れるかが重要だと思います。それで自己肯定感も上がる。あと何より思うのは、ここの人は(都会の人と違って)肩書きで他人を見ていない。あなた個人はどんな人生を歩みたいの? と問われている感じです」
これは私も全く同意見。たぶん都会しか知らない自分が一番衝撃を受けたポイントだと思う。